「そういえば私が高校生の時に、部活で帰りが毎日20時頃だったけど、いつもお母さんは待っててくれたな。
お母さんは自分は食事をもう食べて終わっていたのに、何も食べないけど私の前に座って話をニコニコ聞いてくれてたな。」
実家に帰って料理していた時に、ふと思い出しました。
くれた人がどれほど苦労してくれたか、
もらった人がくれた人のその心情を分かって感謝して使ってこそ、
価値ある使い方ができる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
仕事でいつも疲れてたと思うんだけど、私が一人で食事した記憶が無いのは、お母さんがいたからなんだよね。
親のしてくれたことに一つ一つ感謝するようになったのは、私が大人になったというのと、
摂理の鄭明析牧師がご両親にいつも感謝の心をもって、真心で接していたから。
私は、親に対してたくさんのことは出来なくても、少しでも良くしてあげたいって思います。
皿洗い、食事作り、洗濯、掃除、その他諸々。
働き者の母は私がやる前にやってしまうんだけど・・・^^;
少しでも手伝えて、お母さんが少しは楽してくれるといいんだけどな。
お父さんへ お母さんへ
頼りない娘かもしれないけれど、私は摂理で両親に感謝を深く捧げる人に出会ったから
私もお母さんやお父さんに感謝を捧げることを忘れないよ。
お父さんとお母さんの娘で良かったと思ってるんだ。
たまに私が実家に帰ったら、その時ばかりはゆっくり過ごしてください。元気でいてくださいね。
月明洞の薬水、持って帰ってきたから大事に飲んでください。
いつまでも健康が守られるようにお祈りするね。
神様と聖霊様と御子は、内容は話してくださらないで、
祈りなさいという感動だけを与えて、祈るようにさせる。
祈りが終わって、そのことが押し寄せてきたら、
「このことのためだったのか」と悟るようになり、祈ったことが成就したから、
喜んで感謝するようになる。
祈らなかった人は感謝できない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より