摂理人の過去 私が高校生の時、母は部活帰りの私をいつも待っててくれました

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「そういえば私が高校生の時に、部活で帰りが毎日20時頃だったけど、いつもお母さんは待っててくれたな。

お母さんは自分は食事をもう食べて終わっていたのに、何も食べないけど私の前に座って話をニコニコ聞いてくれてたな。」

 

実家に帰って料理していた時に、ふと思い出しました。

 

20130713-21_Ja

くれた人がどれほど苦労してくれたか、
もらった人がくれた人のその心情を分かって感謝して使ってこそ、
価値ある使い方ができる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

仕事でいつも疲れてたと思うんだけど、私が一人で食事した記憶が無いのは、お母さんがいたからなんだよね。

 

親のしてくれたことに一つ一つ感謝するようになったのは、私が大人になったというのと、

摂理の鄭明析牧師がご両親にいつも感謝の心をもって、真心で接していたから。

 

私は、親に対してたくさんのことは出来なくても、少しでも良くしてあげたいって思います。

 

皿洗い、食事作り、洗濯、掃除、その他諸々。

働き者の母は私がやる前にやってしまうんだけど・・・^^;

少しでも手伝えて、お母さんが少しは楽してくれるといいんだけどな。

 

お父さんへ お母さんへ

頼りない娘かもしれないけれど、私は摂理で両親に感謝を深く捧げる人に出会ったから

私もお母さんやお父さんに感謝を捧げることを忘れないよ。

お父さんとお母さんの娘で良かったと思ってるんだ。

たまに私が実家に帰ったら、その時ばかりはゆっくり過ごしてください。元気でいてくださいね。

月明洞の薬水、持って帰ってきたから大事に飲んでください。

いつまでも健康が守られるようにお祈りするね。

20130704-11_Ja

神様と聖霊様と御子は、内容は話してくださらないで、
祈りなさいという感動だけを与えて、祈るようにさせる。
祈りが終わって、そのことが押し寄せてきたら、
「このことのためだったのか」と悟るようになり、祈ったことが成就したから、
喜んで感謝するようになる。
祈らなかった人は感謝できない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

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