嫌なことがあったとき、皆さんはどう考えますか?
私は先日、とっても嫌なことがありました。びっくりしたと共に。
そういう時は、もう神様に話しまくります。
「どうしてだー」
「なんでだー」
その他、私の心の汚い言葉が出てまいります。
血気盛んは私の中から抜け出ていないようです。
悪いことというのは、予想して「くるぞー」とおもって起こるときと突然起こるときと両方ありますが、今回のケースは私の予想より遥かに早く、悪いことが起きたわけです。
「え?なんで?」
ホントにビックリしました。
これを誰かに言いまくるなら、友達無くしそうな内容です。でもそうやって神様に祈って(訴えて?)いると、そのうち御言葉が思い浮かんだりします。神様も大変です。こうやって私の愚痴をいつも聞いてるんですものねえ・・・。訴えは毎日ではありませんよ(←一応、自分のフォロー)
何か不満に思った時、神様に言うのが一番確実なので、私は神様に先にまず話すようにしています。何故そうなったのか、より深い部分で自分で分かるようになるから。その後で人に話すようにしています。(たまに順番が逆になることがあり・・・反省)
人間も神も話さなければ分からない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
今回、神様に話した後にふと考えました。
「ああ、私、一人でやっていたな」って。
「これ、協力すべき人達がいたな。そうしたらもっと大きく出来るんだな。」
と思ったのです。
だから神様が嫌なことを通してこれは止めたんだなと。
同じ労力を使うなら、一番理想的な形でやるべきですよね。そうじゃなかったから神様が止めたんだと。そう思ったら納得できました。というわけで違う形、より理想形でやろうと思います。
<道>を作る分だけ行くことができる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
<次元を上げる時>は正しく知らなければならない。
正しく知ったなら、根気強く行なうことだ。
途中でやめたら失敗したのだ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
どうして最後までやらなければならないだろうか。
最後まで全てやっておいた後に計算して、点数をつけ「勝敗」を決定するからだ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
最後まで道を作れるよう、頑張ります☆