フィギュアスケート、男子の次元が大きく変化しつつあります。
300点越えをしないと優勝できないという、ハイレベルな戦いの新歴史に突入しました。
今回のフィギュアスケート世界選手権で
羽生選手は、惜しくも2位で295.17点。
優勝したフェルナンデスは314.93点。
以前なら、羽生選手の295点でも優勝に申し分ない得点です。
男子フィギュア世界選手権 歴代の優勝得点
2015年 ハビエル・フェルナンデス 273.90点
2014年 羽生結弦 282.59点
2013年 パトリック・チャン 267.78点
2012年 パトリック・チャン 266.11点
2011年 パトリック・チャン 280.98点
完成の新歴史
羽生選手のショートプログラムを見ましたが、ほんとに完成されてるなと思いました。
もちろん、他の選手達も。
本当にハイレベルな新歴史です。
今の男子フィギュアは完全さを競うハイレベルな戦いに入っています。
たまには転んだりとかあるけれども、前に比べたら少なくなったのではないでしょうか?
羽生選手の完全な演技、完全さの次元を高める演技を見ながら本当に美しいと思いました。
女子でも浅田真央選手がソチオリンピックのショートでまさかの16位から、翌日のフリーで伝説に残る完全なる演技をし、世界中を感動させました。
また、宮原知子選手はミスを殆どしないということで定評があります。
そう、完全さは真実に美しい。
完全さは強い。
完全さは伝説に残る。
完全さは人々に勇気を与え、力を与える。
完全さを追い求める過程も美しい。
完全は負担?
皆さんは、何かを「完全にしよう!」としたときにどのように思いますか?
聖書には
マタイによる福音書5章48節
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
とあります。
摂理の御言葉でも、よく「完全」という言葉が出てきます。
「100%、しっかりやろう」
私が一番最初に聞いたとき、正直負担でした。
「私に出来るわけないー」
「80点や90点はとれるかもしれないけれども、100点はなあ・・・」
と思ったのです。
ですが。。。
最近のフィギュアを見ても感じるのは
「完全さはあまりにも美しい!!!歴史に長らく残る美しさだ!!」
ということ。
その唯一無二な美しさの前に、負担という言葉は全て吹っ飛んでいきます。
完全さを求める時に、確かに頑張らなくてはいけないことはたくさんあるのだけれども
その過程をひっくるめて完全さは本当に光り輝く。
浅田真央選手のソチがよいお手本ですよね。
ヤコブの手紙1章4節
だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
最初から完全な人など見たことがありません。
最後まで忍耐強くいく人が完全に至るというのは確かな答えです。
そしてその完成は、各自の個性通りなので一辺倒の完成では無いということも御言葉で教えてくださいました。
異なる個性どおりに異なって行うから、その形態が行なったとおりに全く変わるようになるのです。
だから、それぞれの人生が個性であり、人間一人一人がそんなにも貴いのです。摂理の御言葉より
神様が御言葉で
「完全にしよう」
とおっしゃるのは、なにも人間に負担を与えるためにおっしゃってることではないのだと。
一人一人がもっと光り輝けるように話してくださってることだと深く感じました。
小さくても大きくても、最善を尽くした作品と完成した作品を大きく思い、評価されるでしょう。
2010年9月17日 主日の御言葉
やれば、みんな完全にすることができる。
本当にやろうとすれば、みんな完全にすることができる。
本当にやろうと思えば、御言葉を完全に実践できる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
やれば皆、完全になれると。そして。
<完全と完成の答え>は「もう少しやること」だ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
完全になるには、「もう少し」だけだと。
私たちが人生という舞台の上で、完全な人生を生きる時
今の自分より「もう少し」やっていくとき、
自分自身が嬉しく感激し、神様が感激し、多くの人々に励ましと力を与えることができる。
そう信じています。
私もまだまだ過程。
時には苦しく思うことも、大変なこともたくさんあるのだけれども
「完全を目指したい。」
そう思わせてくださる神様に出会えたことを本当に感謝しています。
必ず全ての人、一人一人が各個性に応じて完全になり、とてつもない光り輝く人生になれることを信じています。今の過程も美しいと信じます。