台湾、日本、韓国のサッカー選手が台湾に集結。4月23日、キリスト教福音宣教会のサッカー大会が行われました!!
日本から参加した摂理メンバーは
「台湾・韓国・日本の三国が連携しながら、サッカーを通して理想世界を作っていくビジョンを見ました。初対面の人々が互いに心通わせ通じ合うことのできる奇跡はやはり神様の中でこそ起こりうることだと感じました!」
と感動を抑えられない様子!!
全民衆が共にサッカーに熱狂した!
「アジアカップサッカー試合予選」の初戦リーグが始まった!
台湾のサッカー活動を推し進めるため、日本と韓国、台湾のサッカー上級者達が集まり、23日、輔仁大学サッカー場で台日韓の国際レベルの交流試合が開催され、同時に台湾サッカーの応援も集まり、計1000人近くが参加した。
去年のワールドカップアジア地区予選試合にて、台湾の人々の全力サポートにより、一気にサッカー熱が起こった。
その台湾のサッカー熱持続のため、「台湾キリスト教福音宣教会サッカー連盟」は、「愛と平和のサッカーリーグ全国総決勝戦」を開催し、参加チームは、男性17チーム・女性4チームに及び、韓国チームも参加した。
サッカー場には原住民による民族舞踊だけでなく、バンド演奏や、サッカーと芸術が融合した創造性あふれるパフォーマンスにまで及び、現場はまるでサッカーカーニバルのようで、中華民国サッカー協会の陳永盛さんも来場し、試合に対して指導を行った。
主催側 楊俊彥さん
「サッカーと芸術の融合活動を通じてスポーツの健康的で前向きな雰囲気を発展させ、サッカーを通じて良好な精神を学び、フィールドの内外にて愛と平和のサッカー文化が発展することを期待している」と思いを述べた。
中華民国サッカー協会 陳永盛さん
選手を激励しに特別に来場した中華民国サッカー協会の陳永盛さんは、「こんなにも大規模な台日韓3か国のサッカー交流試合は貴重な機会であり、サッカーカーニバルは終始活気にあふれていた。善の力で台湾のサッカー環境を変えることを期待する」と語った。
勝つためには暴力も振るうような、一般的なサッカーの試合とは異なる
この愛と平和のサッカーリーグは、サッカーと芸術の融合したパフォーマンスとなった。
冒頭では特別にアミ族(台湾で最も多い民族)の迎賓の舞(来賓を迎える舞踊)が催され、台日韓の3か国が一つとなることを象徴し、共に天に感謝を捧げた。
多彩な芸術パフォーマンスだけではなく、現場ではサッカーゲーム、ミニサッカー試合体験などもあり、サッカー経験を問わず老若男女皆がサッカーを楽しむことができた。
韓国国家代表選手 孫宗賛さん
「私が私達の総会長鄭明析牧師にサッカーを学んだ時、『サッカーは一人のスポーツではなく、十分な身体能力を兼ね備えなければならないし、11人全員に実力がなければならない。私達のサッカーが普通のサッカーと一番違う点は、皆がお互いを気遣い、楽しくボールを蹴っていることであり、これが愛と平和のサッカーである』ということを教わった」と語った。
台湾キリスト教福音宣教会サッカー連盟主催者 楊俊彥さん
主催者側の楊俊彥さんは、「『台湾キリスト教福音宣教会サッカー連盟』は2002年から今に至るまで14年余り、その普及に励んできた。その間に、ベンチからの観戦・試合出場を経て、アジアサッカー連盟のC級コーチになった人もいた。ある人は父親になり、子供達と少年サッカーチームまで結成し、その中でより多くの人がサッカーを通して豊富な経験を得た」と語った。
サッカーに熱狂するみなさん、このサッカーリーグの推進と、芸術と融合させた多元的な普及活動は、国民に前代未聞のサッカー試合を見せることとなり、台湾サッカーにいっそう多くのエネルギーが注がれることだろう。
参照:摂理キリスト教福音宣教会 ニュース
写真出典:台湾キリスト教福音宣教会 公式HP
台湾各種メディアに掲載
今回の台湾日本韓国が参加したサッカー大会は、中央日報 新浪新聞 Pc home新聞 大成報 聯合新聞網など台湾の各種メディアに掲載されました。
摂理の御言葉にサッカーはたくさんでてきます
「最後の締めくくり」を完全にしない人は、
ちょうどサッカー場に
観衆がいっぱいいるところで、
相手の選手を抜いて
相手のゴールの前に行って、
「シュート」をしないで
突っ立っている人と同じだ。
だから、その仕事をほとんどやったのに、
最後にその仕事の労苦が
無駄になるようにする。
サッカー、
バレーボール、
バスケットボール、
卓球、
水泳、
建物を建てること、
文章を書くこと・作ることは、
繰り返してしきりにやってみれば
うまくなるように、
<考え>もしきりに考えれば
「技術と才能」が発達し、
プロになり、能力者になり、
苗木が巨木になるように
どんどん大きくなる。
<自分のすべきこと>を前にして
「時間」を奪われた人は、
ちょうどサッカー場で
相手にボールを奪われた人と同じだ。
サッカーの試合でも
ゴールをたくさん決めるほうが
「勝者」になるように、
義をたくさん行なった人が
「天国の勝者」になる。
サッカーの試合
バレーボールの試合
バスケットボールの試合を見なさい。
正確に時間を締め括り、切る。
そのような生を生きなさい。
サッカー選手の足は
ボールを蹴る体質になっていて
感覚が秀でている。
だから、ボールが来たら、
自動的に足の方向の角度が出て、
その姿勢でボールを蹴るようになる。
脳も、体も、考えもそうだ。
すべてが体質になって生活し生きてこそ、
生きることがやさしい。
体質になっていなければ、できないし、
やっても10倍もっとつらい思いをしてやる。
未経験者の私が摂理のサッカーで学んだこと
野次は好きになれません
サッカーやスポーツで起こる野次が
どうも私は好きになれません(-ω-;)
摂理のサッカーで
野次が起こったら
私はとても悲しくなると思います。
海外ではサッカーの試合が終わって
サポーター同士の衝突があって
死者も出る場合があるそうですが
それならサッカーが無い方が
いいんじゃないかとも思います。
そのようになって誰が嬉しいんだろう?
誰が幸せになれるんだろう?
神様も人間も、
誰も嬉しくないんじゃないか
と感じます。
鄭明析先生が教えてくれたサッカー
私は摂理のサッカーがとても好きです。
理由は平和的だからです。
神様に喜んでもらおう!としているからです。
鄭明析先生は
私にサッカーが何かを教えてくれました。
2002年8月、韓国のテジョンワールドカップ競技場で、サッカー大会を開催
「サッカーは神様が創造したものです。
だから神様に栄光を帰さないとです。」
先生は、サッカーをしていても、何をしていても神様に栄光を帰していました。
神様に喜んでもらおうとしていました。
先生自身もとても幸せそうでした。
YouTube映像 鄭明析牧師-説教[ただ神様に栄光を帰する生]
日本語字幕あり
サッカーを通して、私の人生と信仰を
指導してくださったのが先生です。
私はサッカー経験者じゃないけれども
先生のサッカーする姿を通して
学んだことがたくさんあります。
先生は、周りに人がいてもいなくても、
サッカーをし運動をしていました。
人が1万人いても
10人程度でも
数人でも
人が全くいなくても
変わりませんでした。
あるとき、日本人が15人くらいで
先生とサッカーした時がありました。
そのときの先生の姿は
数万の観客が周りにいるときと
変わりませんでした。
シュートが決まったときに
喜ぶ表情も変わりませんでした。
そのことから私は実感したんです。
「先生は人を喜ばせる為じゃなくって、
本当に神様を喜ばせるために
サッカーをしてるんだな。
神様を喜ばせるということは
こういうことなんだな。
人が見ていても、見ていなくても
関係ないんだな。」
敵味方なく愛する心
スポーツをするときって
その人の人格があらわれませんか?
わたしはもともと
血気盛んな性格でしたので
(今はまともになってると信じたい)
スポーツするときは
負けず嫌いの性格が出ていました。
スポーツ自体は
得意じゃなかったんですけどねえ。
かたや(?)先生は。
自分のチームも、敵も、
全ての人をとても大事にしていました。
試合が終わったら
一緒にご飯を分け合って食べ
汗をかいた男性たちの背中を
流してあげたりもしていました。
まるで
自分の親に接するように、
自分の大事な人に接するように。
そのようにサッカー中も
サッカーが終わった後も皆に接していました。
海外でサッカーをしたときは
言葉が通じなくとも
飲み物を配ってあげたり
自分から仲良くなろうと
積極的に話しかけていました。
ヨーロッパ各地で行われたサッカー大会
けが人を治療する鄭明析牧師
その姿が違和感なかったんです。
私が見た先生は
いつもそうだったから。
人が多くても少なくても
変わらなかったから。
「御言葉を貴重に思う人は聞く人ではなく、行う人です。」
平和なサッカー、
サッカーをしている人も見ている人も
幸せで平和。
何より神様が喜んでくださるサッカー。
私はそのようなサッカーに出会えて
とても幸せです。