摂理スポーツの目的

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摂理スポーツは部活のスポーツや、競技スポーツとは違いがあります

大きな違いの一つとして挙げられるのは目的。

 

普通の競技スポーツは「相手に勝つ」「いい記録を出す」を一番の目的にしていると思います。ですが、摂理のスポーツはそれは最終目的にはしていません。摂理スポーツの最終目的は「平和を成す」ことです。それは日本人の考えるような表面的にだけ争っていないように見せる平和ではなく、お互いが「平和を成す」という目的に向かって一つになり、そのために各自ができることに最善を尽くすことが平和だと教えていただきました。(この部分はまた別途書きたいと思います)

 

ではタイトルに戻りますが

摂理スポーツでは何を鍛えるのか?

というと「人格」です。もっとわかりやすく言うと「考え」ですね。

その人の行いには、「考え」が表れると、僕に御言葉を教えてくれた先生は言いました。実際にその通りなんですね。サッカーをやっていても、最後までボールに食らいついていく人は普段の生活でも最後まであきらめずに行う人ですし、味方のサポートがうまい人はサッカー以外の組織でも仲間のピンチにさりげなくサポートができる人だったりします。

また、プレー以外でも練習の準備をもくもくとできる人は普段でも次にすべきことをわかって行うことができる人ですし、練習前にゴミ拾いができる人は場所を使わしてもらっていることに感謝できる人であり、自分から善いことを行える人だと言えるでしょう。

 

なぜ人格を磨くのか?

というと、摂理スポーツ最大の目的である「平和を成す」ためには、まずは個人一人ひとりの人格ができていないといけないんですね。

サッカーをだったり、バレーだったり、スポーツ以外でも職場や学校といった「場」をよくするためには所属している「人」一人ひとりが変わらないといけないんです。一人ひとりが素晴らしい人格を備えることが、その「場」を平和にし、皆が生き生きと過ごすことができるんです。特にスポーツは「普段の生活の縮図」といっても過言ではないんです。自分の本性が、プレーにもろに出ます。これは誰にも隠せません。(笑)

だから、スポーツをしていて気づいた自分の考えのクセを日常生活で、またスポーツの場で治していきましょう。そうして、自分の人格を磨いていき、各自の位置で、より良い生を生きていきましょう。それが摂理スポーツの大きなビジョンの一つになっています。

勝ち負けももちろん競いますが、それが一番大きな目的になってしまうと、苦しくなってしまうんですね。次回はそのことについて書いていきたいと思います。いつになるかわかりませんが・・・(笑)

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