月明洞自然聖殿では神様に栄光を帰し喜んでもらうため、和睦を成すため日々、サッカーが行われています。
2016年6月11日には「2016青少年平和サッカー大会・開幕式」が行われ、9チームが参加しました。
開幕式で伝えられたポンソク牧師の御言葉
▲ 開幕式の御言葉を伝えているチョン・ポンソク牧師
ポンソク牧師は「サッカーを最も平和に、自然に、それでいてその中に秩序がなくてはならない。」「秩序とは、相手を自分自身のように愛し、平和を成そうとする心」だと伝えた。
続けて、「結局のところ重要なのは、10ゴールを入れて最優秀賞を勝ち取ることよりも、相手を気遣って自分の体のように愛し、認めてあげることの方が重要だ」と、日頃からのキリスト教福音宣教会の鄭明析牧師のサッカー精神を強調した。
先日、日本でもサッカー大会が行われたのですが、そこではこんなことがありました。
サッカーは基本的には自分の所属または応援するチームがゴールを入れたときに、とても喜びますよね。
しかし摂理のサッカー大会では、どちらのチームが入れても、まるで自分のことのように喜んでいました。
だから、応援する場所も誰がどこにいても自由。
応援の奏楽部隊は、特定のチームのみ応援するわけではないので、グランドの周りを縦横無尽に歩き回っていたくらいです。
それを見ていた通りすがりの方は、あまりにも私達が仲が良いので「どっちが味方で、どっちが敵なのか分からなかった」と言いました。
どこで行われようとも、摂理のサッカー大会では、これと同じ現象が起こっています。
この日の平和サッカーでは、いつの時よりも前述した「平和サッカーの精神」が多く見受けられたのだが、強くて荒っぽいサッカーの様子よりも、転んだり怪我をしたりした仲間たちに向かって先に手を差し出して助けてあげながら配慮する競技の姿が多く見られた。
その中でも特に目立ったのは、他のチームの競技が終わった時に、誰が先にということもなく、勝利したチームに駆け寄って熱く祝ってあげる姿だったのだが、これこそがまさに平和サッカーの真の姿なのではないかと思われた。命を愛し、尊重する姿を自ら見せてくださった鄭明析牧師の教えが輝く時間だった。
天気と素晴らしい景観のプレゼント
▲ 「月明洞&錦山山参(クムサンサンサム)チーム」対「大田忠臣(テジョンチュンシン)チーム」の試合の様子
天気を神様はいつも祝福してくださいます。
よくサッカー大会など外でのイベントで言われることは
「前日まで雨だったのに、今日は晴れた。コートも水はけがよく、プレーに全く支障が無かった。」
「サッカー大会が終わった瞬間に雨が降ってきた」
「あまりにも晴れすぎると、応援の人も選手も大変だから、雲がちょうどよいくらいにかかってほしいと祈っていたらその通りになった」
「涼しくなってほしいとおもっていたら、シャワーのような雨が少し降って、また晴れた!」
こういった様々な神様の働きがあります。
天気についてもよく祈るので、神様の御働きが起こることを切々と感じることが出来るのです。
今回のサッカー大会では、試合の途中で何度も涼しい雨が降ったそうです。また、雨が降ることによって素晴らしい景観を見ることが出来たとのことでした。月明洞は神様のつくられた大自然に囲まれているため、とても幻想的な景色になります。
サッカー選手たちの感想
▲1位になった大田忠臣チームを共に祝ってあげている姿
高等部の「チーム優勝」と「個人MVP」の両方を受賞した大田忠臣チームのイム・チョンウォン君
『サッカー大会に向けて準備する中で、「1000分の祈りの条件」も立てながら、チームのみんなが平和サッカーをしようとたくさん努力しました。
実力は足りないのですが、聖三位が僕たちの条件と努力をご覧になって優勝させてくださったのだと思います。』と感想を述べた。
共に祝ってあげている姿が、本当に本当にあまりにも素敵すぎますね!!!
サッカー大会に向けて、体も準備しつつ、お祈りでも準備します。
その時、より一層平和になり、より一層、神様が力を与えてくださいます。
もちろん、その祈りの上に本人たちの平和への努力も絶対的に欠かすことが出来ません。
信仰の仕事をするにしても、まずは「最も霊的な仕事、<祈り>」をしてから行ないなさい。
そうしてこそ、勝利する。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
高等部・月明洞&錦山山参チームでゴールキーパーのポジションを務めたイ・ヒョンギル君(錦山高校)
『今までやってきたすべてのサッカー大会の中で最も意味深く、素晴らしいサッカー大会でした。平和サッカーを始めてくださった鄭明析牧師に感謝し、平和サッカーの精神が地球村を覆い尽くすことを願っています。』と感想を述べた。
スポーツ大会は、主催者が誰なのかによって、同じスポーツでも内容が異なることがあります。
平和に終われる大会もあれば、残念ながらそうでない場合もあります。
このサッカー大会が何のために行われるのか、またどのようにすれば平和になれるのか。
いつもサッカーボール一つで神様に栄光を帰していた先生(鄭明析牧師)の平和サッカーは、若い世代にまで広がりを見せています。
高等部・月明洞&錦山チームの主将を務めたカン・ジュヒョン君
『「どうすればチームが一つになり、皆が主の心情をもって走ることができるだろうか?」と考えながらチームを引っ張っていこうと努力しました。
それで、僕たちのチームはより一層主を探し求め、栄光を帰す心で補欠選手と選抜選手がお互い力になってあげて、一つになって試合に臨みました。
結局、僕たちのチームは高等部トーナメント1位で準決勝に進み、決勝ともいえる3位決定戦で主と共に走り、総合3位の栄光を与えてくださいました。平和サッカーを通して聖三位に栄光を帰すことができて、すごく感謝しています。』と言った。
優勝も素晴らしい、だけれど3位も素晴らしい。
「すごく感謝しています」
その言葉に全てが表れています。
摂理のサッカー大会が終わったあと、物凄く肩を落として涙を流して帰った人をあまり見たことがありません。時には何か悔しいことがあることもあるでしょう。
しかし、多くは「このサッカー大会に参加して良かった。悟りがあった。神様に感謝します。」という人をよく見ます。祈って、神様に栄光を帰そうと準備したその過程も、神様がとても喜んでくださいます。
「10ゴールを入れて最優秀賞を勝ち取ることよりも、相手を気遣って自分の体のように愛し、認めてあげることの方が重要だ」
相手を憎んで優勝したとしても、平和には繋がらず、喜びも一瞬。
神様の心で、相手を愛して挑んだ試合は永遠に残ります。
また試合中ももちろん、イベントが終わってからの自分の生活に戻っても、平和を成すことが出来るのか。
平和の勝利が出来るのか。
神様は御言葉でいつも教え、導いてくださっています。
<生活の義の競技>には、一人で行なってもいつも「相手」がいる。
すなわち「自分」という相手だ。
自分が「自分の心」を治められなければ、一人でやっても負ける。
気を引き締めて決心し、神的な御言葉と知恵と御力を受けて行ないなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より