死のうとすると青春が惜しく、生きようとすると苦労ばかり(1)ー鄭明析牧師

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文献:「私だけが歩んできた道」より

日差しが焼け付くように照りつけ、地表からは熱い蒸気が、まるで蒸し風呂の戸を開けた時のように燃え盛る火となって立ち昇ってくる季節だ。このような日でも涼しい日陰に座っているわけにはいかないのが私の運命だ。

母は今日もフェッコル畑にくわを携えて働きに出る。田舎では農作業をしなければすることがない、というより食べていくことができない。けれども私は本当に働くのが嫌だった。あまりにも働き疲れたからである。だから働くことが死ぬことより嫌なまでになってしまった。田舎で農作業をしたことがある人なら理解できるだろう。蒸し暑い夏の日の麦刈り、脱穀、雑草が茂って山のようになってしまった畑の草刈り・・・。

座り込んで作業していたのが1日、2日ではなくずっと続いたので、まるで体罰を受けているかのようであった。体罰は数時間で終わるが、この仕事はひと夏が過ぎるまでだ。畑の背負子仕事をしてみると、背骨が曲がって、O脚になって両足が開き、小さな背丈がますます小さくなってゆくようだ。

私が暮らしている山中は平均4~500mもある高地帯だ。荷を背負って行き来すると、登ったり降りたりするので平地より何倍も大変で疲れる、これが背負子人夫の定めか。

続く
死のうとすると青春が惜しく、生きようとすると苦労ばかり(2)

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