神様から愛されていることを実感することもとても大きいけれども
神様を先に愛する人生を歩めたなら、それはその人にとってどれだけ幸せなことだろう。
かくいう私も先に神様を愛するなんて、摂理に来るまで知らなかった。
考えたこともなかった。
当然、そういう風に実際に生きてる人に会ったことも無かった。
鄭明析牧師から学んだことは幾つもあるのだけれども
その中の大きな一つが「神様を先に愛する人生を、実際に実践している姿」。
イザヤ書40章3節
呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
三位の道を備えること。
三位が働きやすいように事前にすること。
神様の後をついていくだけではなくて、神様がいらっしゃる前にやることが私達にはある。
神様が命じたことだけをするのではなく、神様の心を分かって先に動く人生。
そんな人生ってあるんだなあと思った。
命じたことだけをするのも大変なのに、心を分かって先に動くってどういうことだろう。
自分自身の心を分かって、先に動いてくれる人がいたら
どんなにその人はどんなにか貴重だろう。
そして嬉しいことだろうか。
鄭明析牧師は幼いころから教会に通っていた。
あるとき、物凄い風雨だった。
誰もが教会に行くのを控えたであろう天気。
その時も、鄭明析牧師は教会まで行った。
びしょ濡れの中で教会に着くと、そこには誰もいなかった。
鄭明析牧師はそこでお祈りを捧げた。
先に愛するというのはこういう姿だと思う。もちろん風雨の時に教会に行かなくても神様は愛してくださるけれども、鄭明析牧師の場合は「自分が行きたい」から教会に行った。毎週の説教だって、毎朝の御言葉だって、休んでも誰も文句は言わないと思う。
でも自ら祈り、自ら御言葉を伝えてくださる。
先に神様を愛する姿をいつもその行う姿で教えてくださる。私も神様の心を分かって先に動く人になりたい。先に神様を愛する人になりたい。