先生が以前ソンマック教会に通っている時でした。
ソンマンニに住んでいる人たちは農作でみんな忙しかったです。先生も彼らのように働いてこそ、やっと食べて生きる境遇でした。
薪(たきぎ)取りもしなければならないし、聖書も読まなければならないし、祈りもしなければならないし、折(おり)を見て出て行って路傍伝道もしなければなりませんでした。
ほかの人たちは農作で忙しいと言って、明け方の祈りをすぐに終わらせて明け方に家に帰りました。
しかし先生は深く祈っているうちに夜が明けるのが茶飯事でした。
祈りを終えて田畑を通っていくと、村の人たちは私に「いつ農作をしようとするのか。私たちは明け方から農作をしても忙しいのに…」と言いました。
しかし先生は神様から「知恵」をもらって、仕事を30%も減らしてやったので、彼らの方が私に敵いませんでした。
また<明け方>に「神様の祝福」と「約束」をもらってやったので、彼らは私に敵いませんでした。
一年のうち「約50日の主日」は、いつも<礼拝>を捧げるために農作ができなかったし、その中の「明け方の時間」は必ず<祈る>ところに使いました。
村の人たちは365日全部農作をするところに使っても、私に敵いませんでした。
鄭明析牧師の話より抜粋