夢がかなえられてからも後悔する人が多い

  • URLをコピーしました!

人は誰でも夢をもっている。
または夢をもっていたことがある、もしくは夢をもとうとしたけれども何をしていいのか分からず模索したこともあるだろう。
成し遂げることが出来なくて、挫折した人も多いはずだ。

そして夢にはいろんな種類があり、自分の願いを叶える夢、隣にいる大切な人の夢を叶える為の夢など様々にあるはずだ。
では夢とは、そもそも何なのだろう?

チョンミョンソク牧師は、夢についてこう話したことがある。

月明洞

人には皆、それぞれ夢と現実がある。しかし夢は数多くとも、それを現実化させるのは容易ではない。
多くの場合、その夢の数々は妄想や幻に終わってしまう。

私には実に多くの夢があった。その夢は1つ、2つどこではなかった。その夢を実現するために命がけて生きてきたが、その夢は一瞬にして消えてしまった。夢を実現するどころか、涙の山を越え涙の川を渡ることになった。

人生をもがいて生きてきたが、結局はミミズクのような鳴き声のように、悲しい音色で満ちた人生の谷間も経験するようになった。

それからは道がなくなったので、天だけを見上げながら人生の道を探す他はなかった。

しかしだた見上げていただけで天の道がすぐに現れたわけではなかった。

もがきながら、ホトトギスの鳴く谷間とフクロウのいる渓谷に埋もれ、
命をかけて受難が多い人生を送らざるをえなかった。そうしているうちに若さも青春もすぎさってしまった。
本当にそれこそ、人生の春夏秋冬全てが過ぎ去ってしまったのだ。

私の夢は私が実現することは出来なかった。
できるのは、ただ神様だけであった。

御子が私を救ってくださると信じて生きてきたが、最終的にはやはり私の救い主となってくださった。
主は私に、「あなたの人生の夢から目覚めなさい」とおっしゃった。

天に背いて歩む人生なら別として、天に仕えて生きる人生なら夢を変えなければならないということだった。
天を中心とした夢であってこそ、神様が直接関与して成し遂げてくださるのだとおっしゃた。

結局、世の中の夢を捨てて、天が与えてくださった夢を抱くようになった。

私の夢は私の為だけの夢だったが、天の夢は天と全人類の為の夢であった。

今日に至ってみると、私の人生において永遠に後悔しない夢が成し遂げられたのである。

 

人々の中には、夢がかなえられてからも後悔する人が多い。
夢がかえって害になってしまうことが多いということである。

私も世の中の夢が成し遂げられていたならば、後悔して災いが大きかったに違いないことを悟った。

人類の夢は神様が成し遂げて下さらなければならないし、天の夢を成し遂げてこそ後悔しない。
永遠で完全な梅を成し遂げられるのだ。

聖書を見ると、眠りの最中にもらった夢をヨセフは21年ぶりに成就したことが分かる。
私もそのくらいかかったようだ。

夢がない者は希望も喜びもない。
だが神様が共にしないと、その夢が妄想や幻想に終わってしまうので、ひたすら神様と共に夢を成し遂げていかなければならない。

私に再び夢を与えて下さり、その夢を成し遂げてくださった三位一体の存在に
私についてくる人達と共に感激し、余生に栄光を限り無く帰しながら一片丹心で生きていくつもりである。

1996年9月17日 月明洞にて
「夢と現実」私が歩んだ道より抜粋

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次