先生がベトナム戦争に参戦して帰って来られた後の話だ。
先生と共に見慣れない国からやって来たカーキ色のかばんの中には、チョコレート、小さな袋に入った砂糖、コーヒー、パラシュート、ジャングルの絵、白い大きなタオルなど、一度も見たことも聞いたこともない品物がいっぱい入っていた。
その当時10代の少年だった私には、すべてのものがただただ珍しく、ベトナムから生きて帰って来た兄がとても誇らしかった。私たち家族だけでなく、村中の人たちも、無事に帰って来た兄をとても喜んで迎えてくれた。
ソウルに行くのも大変な時代に、海を越えて遠い国まで行って戦争をして帰って来た参戦勇士たちの話を聞きたがる人々に、私たちの村のある人は、自分が夜に敵陣に入って行ってベトコンの頭を数十個も切ったと言った。女性のベトコンの胸を切ったと得意になって騒ぎ立てる人、そして数多くの敵軍を殺して勲章をもらったと言って武勇談を派手に喋り捲る人もいた。
しかし先生はいつも口を閉じておられた。
こんな兄に村の人々は
「おいお前、ベトナムの話ちょっとしてくれよ。お前は一番戦闘もたくさんした恐ろしい捜索隊にいたんだって?おもしろい話もたくさんあるだろうに、その話ちょっとしてみろ。」
「教会では子供たちをつかまえて聖書の話もよくしてくれるって子供たちが自慢してたけど、そんなにもったいぶらないで私たちにも戦争の話ちょっとしてちょうだい。」
時間さえあればこんなことを頼んだ。
その度に先生は「話すことなんてありませんよ。」と言って口を閉ざされた。そんな先生を見て「ミョンソギは戦地であまりにも大きなショックを受けたから話をしないんじゃないか?」と影でささやく人たちもいた。
取り立てて自慢するものがなかった私は、ベトナム戦争に行って生きて帰って来た兄のことを友達にたくさん自慢した。その度に、友達は「おい!そういうお前の兄貴はベトコンをたくさん殺したんだろうな。何人くらい殺したって?勲章ももらったって?」と聞いたが、私は一言もまともな答えをしてやることができなかった。兄から聞いた話が一つもなかったからだった。
ある日私は先生の顔色を伺いながらおずおずと聞いてみた。「お兄ちゃん!ベトナムで人をたくさん殺したんでしょ?何人くらい殺したんですか?ベトナムで戦った話をちょっとして下さい。」
私の質問に先生は頭を上げて虚空を凝視していたが、しばらく後、重い口を開かれた。
「戦争はあまりにも残酷で恐ろしいものだ。二度とこの地上に戦争が起こってはいけない。」
『もちろん。数多くの人たちを殺したさ。』という話を期待していた私に、先生がしてくれた話は失望そのものだったとでも言おうか。
気の抜けたサイダーのように変わってしまった私の表情を見ながら先生は「私が戦争の話を一つしてやろうか?」と言いながら話を続けられた。
「ある時私が待ち伏せをしに出て行ったんだけど、ベトコンが1人私の射程圏に入って来た。引き金を引きさえすれば死ぬところだろう?私が銃を取って照準を定めて引き金を引こうとした瞬間、イエス様の御言葉が思い出された。
『命を愛しなさい!天下より尊いものが命じゃないか?』
続いてお母さんの顔が浮かんだんだ。私が生きて帰って来ることをやきもきして祈っている姿が。
『ああ!私が死んだらお母さんがどんなに悲しまれるだろうか?あの兵士にも生きて帰って来るのを切実に願っている家族たちがいるだろうに・・・』
という思いが浮かんだ瞬間、私は敵を狙っていた銃を下ろし、その敵軍が無事に射程圏を免れて生きて帰ることを祈ったんだ。その人も私のように無事に故郷に帰って元気に暮らしているといいなあ。」
この話を終えられた先生は戦争を回想するように遠い空を見上げられた。
先生の話は当時としては私の期待を容赦なく打ち砕く、とても失望に満ちた話だった。
しかし数十年前に聞いた話が、今でも生き生きと思い出されるのはなぜだろうか?
今日人類はどの時代より豊かに暮らしているが、地球村の至る所では宗教と民族を取り巻く大小の戦争が絶えないでいる。憎悪はより大きな憎悪を生み、血はより多くの血を呼ぶ。
ナポレオンやチンギスハンのような戦争の英雄たちは自分たちの政治的野望と欲のために、数十万の命を殺さなければならなかった。彼らからは愛と希望を見出すことができず、数十万の命が死んでいった残酷な話があるばかりだ。
2000年前にこの地に来られたイエス様はらい病人に直接手をおいて癒しておやりになり、姦淫して現場で石を投げられて死ぬしかなかった女の命を生かしておやりになり、『あなたがたが愛するに足る人を愛することが何の愛なのか?』とおっしゃった。そして死の瞬間の十字架の上でも自分を敵視する人たちを許して愛された。
全身が凍りつくような死の恐怖、散らばっている死体から出る悪臭、銃弾が集中する切迫した戦場で、命をかけて敵軍の命を愛しイエス様の御言葉を実践なさった先生。
『私が先に銃を下ろさなくては決してこの地に平和が訪れない。』と言うその方の御言葉は主人公だけが言えることだろう。
今日も人の命だけでなく、神様が創造なさった全ての万物を神様のものだと言って草1本、鳥1羽、石1つまで大事に思われ、尊重されるべき命そのものとして見られ『命を愛しなさい』というイエス様の御言葉を実践なさる先生に、人類の救いと世界の平和の光を見る。
2007年3月 ポンソク牧師