記事を書いた人 あかり
東京在住。大学の保育士過程で学ぶ中で世界中で児童虐待が多いことを知り衝撃を受ける。どうしたら人が生まれて幸せで平和な世界を作ることができるのか、と考えて答えを探している時に摂理に出会い、教会に通うようになる。夫と二人暮らし。
趣味)カフェ巡り、散歩
神様を正しく教えてくれたから
私が摂理で御言葉を学ぶようになったのは2007年の春。大学4年生の時でした。
神様の存在に対して考えたことはほとんどなく、見守っていてくれたら嬉しいな、程度のものでした。
鄭明析牧師が今まで御言葉の中で一番教えてくれたのは、神様を信じて生きることの喜びでした。
私は、摂理で御言葉を学ぶまでにいくつかの教会に行って説教を聞いたことがあるのですが、鄭明析牧師が伝えてくれる御言葉を聞いて初めて、神様のことがよく分かるようになりました。神様はどんな姿なのかから始まり、神様はどんな心や精神、考えを持っていらっしゃる方なのか。神様がどのような思いで聖書の歴史を導かれてきたのか。神様は人間をどれほど愛していらっしゃるのかに至るまで。
いつも平安な表情でにこにこと空から見守るようなイメージから、一気に現実に「生きている」リアルな神様を思い描けるようになりました。
神様がいるという事実を伝えてくれる人は多いですが、「今も生きて動かれる」神様とその深い心まで聖書を通して教えてくれる牧師は初めてでした。
元々、生きる意味や自分の価値がわからず、人生を半ば諦めて生きていた私自身でしたが、鄭明析牧師が教えてくれる御言葉を学ぶことで、神様の人間に向かう深い愛や神様がなぜ天地と人間を創造なさったのか、人間の生きる意味と自分自身の貴重さをはっきりと教えてくださり、生きる喜びを与えてくれました。
一人の人間として精神的にも人格的にも大きく成長できるように導いてくれたから
鄭明析牧師の説教で一番輝くものの1つに、
「人間は作り方次第だ」というものがあります。
鄭明析牧師は御言葉で、神様が生まれるようにしてくださった唯一無二の自分自身の貴重さをまず教えてくださり、自分を磨き作ることで更に貴重な価値を発揮することができると教えてくださいました。御言葉を聞く時間で作られるのではなく、生活の中で行うことを強調されました。小さなことにも感謝する姿勢、自分を愛するように親や隣人を大切にする心、最後まで諦めない精神等々を教えてくれました。
今まで自分に自信が持てなかった私自身ですが、鄭明析牧師の御言葉で自分の心と性格と考え方を磨き作る中で、自分を受け入れることができるようになり、愛することができるようになり、周りの人からも認められるようになり、自分自身にも自信を持てるようになりました。
いろんな本を読み漁っても、いろんな講演会に行ってみても、どんなものでも変化できなかった自分自身が、神様を信じ、御言葉を実践する中で理想的な自分に大きく変化できたことは否定できない事実です。
御言葉を通して、自分に働かれる神様を感じたから
私たちの生活はいつも問題がつきものです。毎日2つの回答のうち1つを選択をしながら生きているとも言えます。まるで問題集を解いているかのようです。1週間生活をする中で、これでよかったのだろうかと後から深く考えることも多々あります。
そうしながら日曜日の礼拝の時間を迎えると、不思議にも御言葉が答えとなって自分の中に返ってくるようになります。まるで人生の答え合わせのような時間で、私にとっては本当に特別な時間です。誰にも話していないのに、御言葉で自分の悩みに対する答えが来る時には本当に驚きを隠せません。
御言葉を聴く中で神様と面談をし、御言葉で神様と会い、御言葉で神様を実感してきました。
また、伝えてくださった御言葉を1つ1つ行なってみると、その言葉の通りに現実に自分自身に成されるのをはっきりと体験するようになりました。最初は偶然かと思いましたが、幾度となく体験する中で、御言葉が現実になされていることを否定できなくなりました。
神様に対しても最初は半信半疑でなかなか信じられなかったのですが、御言葉を生活の中で意識して実践すると、自分に働かれる神様の存在を感じるようになりました。
この自分の身に起こった経験を通して、この御言葉に間違いなく神様が答えられるのだなと感じるようになりましたし、
鄭明析牧師の語る御言葉は、真に生きて働かれる神様の言葉なのだなと感じるしかありませんでした。
鄭明析牧師の極限の期間もその姿が変わらなかったから
私は摂理で信仰を持つようになって15年になりますが、その間、1度も同じ御言葉が伝えられたことはありません。また、御言葉が伝えられなかった時もありません。
鄭明析牧師にとって一番極限の期間だった2009年からの10年間も御言葉は一度も途絶えたことはありませんでした。
人の本性は良い時ではなく、困難な時にすべて顕になると思います。
自分の生活や自分の心に全く余裕がない時は、他人のことは考えられず、自分が生きることだけでも精一杯で、誰かを助けるという考え自体、皆無に等しくなるのが私たちの本性ではないでしょうか。
鄭明析牧師は、食べること、寝ることの基本もままならないどころか、精神的な安定も非常に難しい閉鎖された環境の中でも、更に深い御言葉を10年間欠かさずに送って届けてくださいました。
鄭明析牧師の語る御言葉の特徴は机上でただ書く文章ではなく、誰よりも御言葉を率先して生活の中で実践されて、深く祈って、その上に与えられる御言葉です。
そのような限られた生活の中でも環境や状況を言い訳にせず、もっと神様に仕え、感謝し、イエス様を更に愛し、祈りの生活を続けてこられた証拠物が他でもなく、御言葉です。
どんな状況にあっても変わらない姿を目の当たりにし、本当に鄭明析牧師は言葉と行い、その生き方が神様に向けてまっすぐで真実な方だとはっきりと確信するようになりました。