摂理の賛美は以前からありましたけれども、今年になって爆発的に増えています(ΦωΦ)
そして、聖歌隊のYouTubeにも次々アップされています。
ここ一週間でアップされたものはこちら。
摂理では礼拝だけでなく、他のとき、たとえばサッカーの前後などにも歌ったりします。
ことあるごとに歌います。
次々、曲が出てくるから いつも新鮮な気持ちで歌えます。
賛美は礼拝で歌っても、皆で歌っても、一人で歌っても、いつも嬉しいんです。
それを教えてくれたのは先生(鄭明析牧師)です。
まだまだ人が少なかったときから、先生は歌いました。
神様を愛する心で。
私が一番最初に先生が歌う姿を見た時、他の人のことは全然気にしないで神様に向かって歌う姿に衝撃を受けました。こんな風に賛美を歌う人、見たことない!
今は多くの人が周りにいますけれども
いつでもどんなときでも
神様を賛美するその姿勢に変わりがありません。
だから自然なんですよね。
平素、いつも功績が上がっていきます。「平素の生は功績にならない。」そういうことはないのです。
一人で暮らす生も、一人で功績をしたことも、一人で神様を愛したことも、全部功績になります。聴衆の中で、群衆の中でした愛も上がっていくけれども。だから、いつもそういう生活するのが楽しいのです。一人で生きているときにも、その通りに生きなければならないでしょう。
愛、いつも愛が、普段はできないのに、なっていきなり愛の火がつくことはないでしょう。見ていても見ていなくても、神様が、聖霊様が見ていなくても、主が、主人が見ていなくても、いつもそのような生がなされなければなりません。その生が主に直面した時にぎこちなくなくできるんです。
2018年8月8日水曜日の御言葉より