教会と社会生活は分けるもの?

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摂理を走っていて良かったなあと思うことの一つに
教会と社会生活が分離されないことにあります。

 

人によって認識は様々かもしれませんが、少なくとも私はそう感じています。

 

聖書を見ると、イエス様は教会、例えば礼拝などと一般的な社会生活を分けたりしませんでした。

 

いわゆる普通に生活をしている人たちにもたくさん御言葉を教えました。

 

仕事を辞めなさいとか、山にこもって祈ってばかりいなさいとか、そういう教えはありません。

 

イエス様が亡くなられたあと、弟子たちも人々の生活の中で御言葉を伝えました。

 

もし現代において、仕事や学校と切り離して、教会にいる時間だけが良いとされるとしたら
誰が生きられるでしょうか。

 

また、もし分離して考えるのであれば、社会人生活をすればするほど苦しくなってしまいます。

 

御言葉をしっかりと学び、学校も仕事も思い切り頑張る。
これがどれほどかっこいいことでしょうか。

 

ある人は言いました。

大学の人に呼び出され、「摂理をやめなさい」と。危険だからと。

しかし、その人は何と言われようと摂理の教会に通うことはやめませんでした。
そして大学もトップの好成績で卒業しました。

 

もし摂理が、「教会にだけいなさい」というのであれば
彼女のような人は生まれなかったことでしょう。

 

神様はある一定の環境や状況にだけいるわけではなく、全てをご存知です。

 

皆さんが持っている使命をしながら待っていなければなりません。 学生は勉強を熱心にして、しなければなりません。社会人は会社で熱心に働いて、しなければいけなません。
2014-08-03 御言葉より

絶えず祈りなさい。仕事する前も、休憩時間も、仕事がうまくいく時も報告し、うまくいかない時も神様に知恵を求めなさい。
移動時間も、歩きながらでも、人と会う前も、神様にひと言でも話しなさい。
そのようにする人には変化があるだろう。
2010-04-01 御言葉より

 

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