数ヶ月、摂理の御言葉を否定してみた

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こんにちは、モンタです。
今回はYoutubeでよくある、実際にやってみたシリーズです。

タイトルの通り、数ヶ月御言葉を否定しながら聞いていた時期があります。

礼拝に行くようになってから半年程たったある日、ふと気づいたことがありました。
「あれ、ここ宗教じゃない!?」と。

あれだけ賛美して御言葉聞いて祈っておいて…半年後に気付くのか…
と、今思い返すと非常に残念な感じですが、事実なので仕方がないです。

宗教だと気付いてからは様々なことが頭によぎりました。
・親に宗教気を付けろと言われていたやつだ
・マインドコントロール
・壺買わされる…?などなど
(なぜ摂理の報道を見たときに、にこの考えに至らなかったんだろう)

そこから御言葉をいくら聞いても頭に入ってこず、出てくる言葉や表現を聞く度に騙そうとしているとしか思えなくなりました。

けれど、周りの人たちは良い人たちばかりだし、みんなとバレーをしたいし、、と悩んだ結果、まだ結論を出すのは早いなと思い、御言葉を全部否定してみて、本当に自分を騙そうとしているなら出て行こうと考えたのです(聖霊様の感動ですね、確実に)

こうして御言葉を否定する日々がスタートしました
聞いていくと、
・あぁそういう言い方すると喜ぶよね
・うまいなぁその表現
などを思いながら聞くようになりました。

そうやって数ヶ月聞いていると、ある感情が生まれてきました。

「疲れたな…」

そう、否定するの疲れるんです。

1度の講義や御言葉で全部が話される訳ではないので、頑張って揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れるのですが、別の御言葉でその矛盾点が解かれる。その繰り返しでした。
自分が御言葉を否定した点は全て御言葉によって答えが出ました。もちろん分からない部分はありましたが、それは矛盾というよりは謎であって否定できるものではなく。きちんと謎と矛盾点を割いて見るとやはり全ての矛盾点は解かれ、否定しきれませんでした。

そしてある結論に辿りつきます。
「神様、観念します。御言葉、否定しきれませんでした。信じます。」と。

何か物凄い聖霊の感動があったり、御言葉で答えが来たという訳ではなく、神様との根比べに負けた、そんな感じです。

否定を止めてからは徐々に信仰が芽生え始め、後に神様の偉大なる愛を悟り、先生にどれだけ愛されていたのかということを悟り、何より摂理で走ることが楽しかったです。

ただ、否定していた日々はマイナスなことばかりではなく、
走りながらふと本当にこの道でいいのか、先生に着いていって本当に大丈夫なのか、と瞬間負の感情がよぎる時、
「あれだけ否定しても否定しきれなかったんだから、大丈夫」
と、自分を引き戻す材料になっています。

神様からするととても扱いづらい子だったと思いますが、忍耐しながら今まで導いてくださったことに感謝が絶えません。
神様、感謝します!

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