宗教の信者数、よく言われることですが「不明確」な部分があります。
特に日本の宗教における信者数は、各宗教宗派からの公表をそのまま合計すると
日本の人口を軽く超えると言われています。
実際、文化庁の宗教統計調査によると
日本の各宗教の総計信者数は、平成25年分で1億9017万6,262人です。
同年、日本の人口は1億2729万8千人であることを考えると確かに軽く超えています。
信者数が不明確な理由とは
日本は、お正月は神社に行き、結婚式は教会であげ、お葬式はお寺であげるため、このような統計結果が出ています。
またもう一つの理由として、神道、仏教、キリスト教、イスラム教などどの宗教にせよ、
どこで信者数を区切るのかは、外から見た場合と信者本人達が思っていることは違う場合もある為、このようなことが起きています。
例えば、宗教によっては
その本人が亡くなっても信者数として数える場合があります。
また、信者が家族に一人だけでも、家族全体を信者と数える場合があります。
お正月に参拝を一度だけした場合でも信者数に数えられる場合があります。
神社においての信者数の数え方
神社においてはこのようになっています。
「神社本庁に限らず神社神道の場合は、
神社周辺の地域住民をそのまま信者(私達神社関係者が言う所の「氏子」)と見なしており、
神社によっては初詣の参拝者の数まで信者数に含める事があり、
また、仏教系の各教団でも、檀家制度の名残から、ほぼ「檀家=信者」と見なしており、
そのため、神道や仏教の伝統教団では当人の知らない所で
その人を神道や仏教の信者として数えているからです。」
引用:西野神社 社務日誌
神社の方が書いてる記事だから、この記事自体は正確なはず。
私も初めて知った・・・。
ということは。
私も複数の神社の信者数に数えられていることはほぼ間違いない。
何回か引っ越したし(-ω-;)
というわけで、そもそもの基準がバラバラなので
各宗教の信者数を比較したり、ランキング付けしたりするのは
かなり困難のようです。
お寺に年に一度行けば信者と考える人もいれば、
毎日行かないと信者じゃないという人、両方いらっしゃるとおもいます。
それを無理やり、誰かが統一基準を設けたところで意味はないですね。
キリスト教福音宣教会(摂理)の信者数
出典:Mannam & Daehwa
摂理で例えば日曜の主日礼拝に出ている人数で信者数を数えたとします。
でもそれは正確ではありません。
その基準で信者数を数えたら
「私は摂理キリスト教福音宣教会の人です!!日曜は仕事があって出られないけだけです!!」
という人が必ずいます。
なお、摂理は現在15ヶ国に支部があり、約30ヶ国の会員を有しています。
信者数を数えるのは厳しい・・・?
結局、その人の心がどうなのかということで信者数は測れますが
心を数えるというのもなかなか無理があり、心を何の基準をもって誰も数えることはできません。
そんなことは神様にしか出来ません。
「私は信仰者です!」
と自分でいう人を統計したとしても、宗教団体側から見たら
「いや、違うでしょ」
ということもあります。
信者側からは、信者数はさほど関係ない?
ところで。
信者数がたとえ、外からみて一見理解できないような数え方だったとしても
信じる側からとっては数え方も、そして信者数も、さほど問題でもないような気がしています。
摂理信者の私は(摂理で信者という言い方はほとんどしませんが)
「信者数は人の信仰に、根本的には影響を及ぼさない」
という実体験をしています。
今より摂理人が圧倒的に少なかった時代。
今でこそ世界70か国以上と言われるが、まだそこまで広まっていなかった時代。
それでも私は摂理の御言葉を信じました。
出典:摂理公式サイト
今の摂理はこのよう各国に広がっていますが
だからといって私の信仰がそれに比例して増していくわけでもありません。
そんなことがあるならラッキーとさえ思えますが(笑)、信仰はそんなに簡単なものでもありません。
摂理の御言葉に出会う前も、他の宗教の御言葉(説法、説教)を聞いたことがありますが
その時も信者数までハッキリと確認したわけではありません。
出典:摂理マンデーMannam & Daehwa 御子愛の家 献堂礼拝
信者数が多ければ、興味はひかれるかもしれません。
でもその後、信仰をするかどうかは結局自分次第です。
宗教だけではなく、例えば芸能人のファン数がいくら多くても
じゃあ、
「ファンの数が多いから、私もファンになるー」という人は殆どいないはずです。
最初はそれがきっかけでも、結局長続きしないことが殆どです。
それと同じです。
あるアイドル信者がいくら多くても、日本全員がそのアイドルが好きかと言われるとそうではないですよね。
おそらく私は統計上は、神道系の信者としても、仏教系の信者としても、数に含まれているのでしょう。
だからといって私の信仰が変わるわけでもありません。
信者数もある意味、一つの形に過ぎません。
今日も私は、御言葉の前で正しくあったのか
測るのだとしたら、そちらを測りたいと思うのであります。
全知全能の神様の御前で。