摂理の恋愛

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摂理に来るまで誰かを好きになること、はい、ありましたよ(笑)
でも今思えば、神様を大好きになることとは比べることはできないですね。

そもそも「神様を愛する」という風に考えたことは
摂理に来てからです。
それまで、私は神様を信じてはいたけれども
「神様を愛する」なんてこれっぽっちも思ったことありませんでした。
私は摂理に来て、神様を愛しましたΣd(´∀`o)
大好きになりましたΣd(´∀`o)
人は一生の間、自分の親、兄弟、友達、いろんな人を愛し
恋人を愛することもあると思います。
でもその中で、自分の一生の間のなかで
「一生かけてもいい」
と思える人に出会えることほど、幸せなことはないのではないでしょうか。
私は摂理に来て、それまで信じていた神様のことを
もっと知るようになりました。
一生かけてもいいとおもいました。

神様のことがもっと好きになったし
神様に祈るようになったし
神様の話をもっと聞きたいって思いました。
私は摂理に来てから恋愛以上の愛があるんだということを初めて知りました。
神様の愛はあまりにも偉大で、大きすぎます。
どんなに愛が大きいと言っても、
宇宙をプレゼントしてくれる人が
食べ物をプレゼントしてくれる人が
太陽、雨、風、空気、水をプレゼントしてくれる人が
祈って私の言葉を24時間聞いてくれる人が
私が諦めても諦めなくても、私のことを諦めないでいてくださる人が
一体どこにいるでしょう。

誰が誰を愛するかは自由です。
神様も無理やりなことはさせません。
無理やり、神様を愛してくれとは言いません。
ただ、聖書にはこう書いてあります。

そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 
これがいちばん大切な、第一のいましめである。 
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 
マタイによる福音書 22章26-39節

私自身は神様を一番愛するようになってしまったので(人´∀`)
これからもそれは変わりません。
神様を愛するという一番大事なことを教えてくださったことに、心から感謝していますΣd(´∀`o)

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