月明洞は自然いっぱいの場所なので
天候や季節によって様々な表情を見せます。
今日は真っ青な空。
そこに流れる滝。あまりにも美しいです。
この滝が作られたときに話された御言葉を紹介します^^
2015年自然聖殿を開発したところとして
湖の上の滝があります。
もともとこの<滝>を
前山の一番上から流れるようにしようと思っていましたが
条件上そのようにできなくて、少し小さく作りました。
湖の上の滝があります。
もともとこの<滝>を
前山の一番上から流れるようにしようと思っていましたが
条件上そのようにできなくて、少し小さく作りました。
しかしこの滝は小さいけれども
「大きい作品」になりました。
なぜでしょうか?
<滝自体>は小さいけれども
その下の「受け皿の役割」をする
<湖>と調和を成すので、大きい作品です。
上に<滝>ができたので
もう<湖>も「静かな湖」ではなく
「生きている湖」になりました!
このように
<滝>と<湖>全体が調和を成しているように
一緒に交わって共にしてこそ美しいです。
<雄大さ>の中に
<細やかなもの>が入っていてこそ
「よい作品」です。
自然聖殿を開発する時
最高に心血を傾けた<月明洞の野心作>は
<上>は傾斜が急で大きい石を縦にして
尖った形で立てました。
しかし<中間から下の方>までは石を横にして、
平らにして、座りやすく作ったので
楽に座って讃美もし
御言葉も聞き、祈りもします。
だから<野心作>は
「自然聖殿で一番険しい所」でもあり
「自然聖殿で一番楽な所」でもあります。
雄大でもあり、楽で接近もしやすいです。
指導者たちは「雄大」であるばかりでは怖いです。
接近しやすくなければなりません。
一番下の深い段階、低い段階にまで降りて行って
命たちを顧みなければなりません。
このように指導者は深く↓高く↑なければなりません。
指導者は「民たち」と近く接してこそ
大きく光を放つことができます。
雄大でも近く接近できなければ
ちゃんと指導することができないからです。
-2016年1月3日 鄭明析牧師の主日の御言葉より