月明洞便り 白銀の世界 2014年12月2日

  • URLをコピーしました!

月明洞に、雪が積もりました
昨日のブログでクリスマスイルミネーションが開始したと書きましたが
それにあわせて、更に雪が積もったようです

 

イエス様像の周りにも飾りがつけられていますね
自然聖殿の芝生は全て真っ白に覆われています

 

月明洞便り 白銀の世界 2014年12月2日2
こちらは御子愛の家の屋上からの景色。
まだ木々は白くは無いものの、冬到来と言って間違い無いですね。

 
月明洞便り 白銀の世界 2014年12月2日
月明洞に滞在する各国のメンバーからも、雪景色の写真が届いています
今はこうやって雪が降ると、誰しもが喜びの声をあげます。
それは月明洞の雪景色があまりにも美しいからです

 

でも雪は美しいだけでしょうか

 

月明洞が今のようになる前から雪はたくさん降っていました。
以前は月明洞に雪が降ることは「災い」だったようです。
子供の頃から鄭明析牧師先生はここで過ごしていたので
その本人が言うのだから納得ですね。

 

月明洞も造る前は、冬に雪が降ると雪が積もって歩くことができないから、
「害」になり「苦痛」になって、雪が解けることばかり待ちました。

 

ですが今はどうでしょうか?

 

しかし月明洞を造っておいたので、時になって雪が降っても、
雪がもっと降って積もることを求めました。

 

雪が積もればスキーをし、そり滑りをし、
創造主と共に冬の風景を観賞して楽しみました。
造る前は全てのことが「災い」になり、造ってからは「祝福」になりました。

 

つくっておけば「天国」になり、「喜びと楽しみ」になります。
つくってこそ「災い」も「祝福」になり、「苦痛」も「喜び」になります。

 

<自分の人生>も<自分の魂と霊>も、
つくっておいてこそ神様の光を放ち、
神様が時になって地上に行われる全ての御働きが「祝福」になって、
(それを)享受します。
2014年7月2日水曜の御言葉より抜粋

アーメン
月明洞が造られる前はスキーをすることも出来なかったし
子供達が雪に大はしゃぎできるような広場も無かったし
雪をしのげる部屋もそこまで多くはありませんでした。

 

でも今は、自然聖殿の芝生に降った雪の上でスキー、そりをすることも出来るし
暖かい室内から、雪景色を楽しむことも出来ます

 

もし月明洞が造られなかったら、冬の期間に月明洞に住むことはあまりにも大変です。
月明洞は山であり、車も入る道路も無いから、雪道を時間をかけて登ってこなければなりません。

 

今は道路が出来たから、チェーンがあれば車で登ってくることが出来ます。

 

私も先日、雪が降り始めた頃、もしかしたら道路が凍っている
という危ない状況の時に車で送ってもらいました

 

同じ環境だとしても、「どう造るか」が課題になりますよね。
私達の人生も、同じ環境や境遇だったとしても
自分をどう造るかで、一見災いに見えることも全てが祝福に変化します

 

この綺麗な景色が喜びの知らせとして変化したのも
月明洞が造られたからですね

 

自分自身を造って変化すれば、災いが喜びになる。
今日も一日、自分を造る日でありますように。

 

この美しい景色が「災い」ではなく、
「美しい」と言える私でありますように

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次