月明洞に、雪が積もりました
昨日のブログでクリスマスイルミネーションが開始したと書きましたが
それにあわせて、更に雪が積もったようです
イエス様像の周りにも飾りがつけられていますね
自然聖殿の芝生は全て真っ白に覆われています
こちらは御子愛の家の屋上からの景色。
まだ木々は白くは無いものの、冬到来と言って間違い無いですね。
月明洞に滞在する各国のメンバーからも、雪景色の写真が届いています
今はこうやって雪が降ると、誰しもが喜びの声をあげます。
それは月明洞の雪景色があまりにも美しいからです
でも雪は美しいだけでしょうか
月明洞が今のようになる前から雪はたくさん降っていました。
以前は月明洞に雪が降ることは「災い」だったようです。
子供の頃から鄭明析牧師先生はここで過ごしていたので
その本人が言うのだから納得ですね。
月明洞も造る前は、冬に雪が降ると雪が積もって歩くことができないから、
「害」になり「苦痛」になって、雪が解けることばかり待ちました。
ですが今はどうでしょうか?
しかし月明洞を造っておいたので、時になって雪が降っても、
雪がもっと降って積もることを求めました。
雪が積もればスキーをし、そり滑りをし、
創造主と共に冬の風景を観賞して楽しみました。
造る前は全てのことが「災い」になり、造ってからは「祝福」になりました。
つくっておけば「天国」になり、「喜びと楽しみ」になります。
つくってこそ「災い」も「祝福」になり、「苦痛」も「喜び」になります。
<自分の人生>も<自分の魂と霊>も、
つくっておいてこそ神様の光を放ち、
神様が時になって地上に行われる全ての御働きが「祝福」になって、
(それを)享受します。
2014年7月2日水曜の御言葉より抜粋
アーメン
月明洞が造られる前はスキーをすることも出来なかったし
子供達が雪に大はしゃぎできるような広場も無かったし
雪をしのげる部屋もそこまで多くはありませんでした。
でも今は、自然聖殿の芝生に降った雪の上でスキー、そりをすることも出来るし
暖かい室内から、雪景色を楽しむことも出来ます
もし月明洞が造られなかったら、冬の期間に月明洞に住むことはあまりにも大変です。
月明洞は山であり、車も入る道路も無いから、雪道を時間をかけて登ってこなければなりません。
今は道路が出来たから、チェーンがあれば車で登ってくることが出来ます。
私も先日、雪が降り始めた頃、もしかしたら道路が凍っている
という危ない状況の時に車で送ってもらいました
同じ環境だとしても、「どう造るか」が課題になりますよね。
私達の人生も、同じ環境や境遇だったとしても
自分をどう造るかで、一見災いに見えることも全てが祝福に変化します
この綺麗な景色が喜びの知らせとして変化したのも
月明洞が造られたからですね
自分自身を造って変化すれば、災いが喜びになる。
今日も一日、自分を造る日でありますように。
この美しい景色が「災い」ではなく、
「美しい」と言える私でありますように