月明洞 らくだ岩

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主日礼拝2014年8月31日の御言葉で
「<万物>を見て、それを下さった神様と聖霊様と私御子と対話しなさい」
と出ました。
その中で、月明洞にある「ラクダ岩」についての話がありました。

 

月明洞を開発する時に、神様と聖霊様と御子に、「聖殿」のために祈りました。
人間の技術と装備では100トンを少し超えるぐらいの岩しか運べないから、
神様がしるしを見せてくださって、成約歴史の千年の間ずっと話せるように、
「数百トンの岩」を下さい、と祈りました。

 

月明洞に数百トンの岩を下さいということは、本当に不可能なことでした。
どこにもないばかりか、あったとしても現代装備では月明洞に運んでくることもできなかったからです。
本当に不可能なことを求めたので、求めておいても、「あまりにもあり得ないことだ」という気がしました。

 

それで「求めはしたけれど、神様がしてくださらなくても寂しく思いません」と言いました。

 

月明洞の場所は、行ってみたら分かりますが山です。
四方八方、山々に囲まれていて、そもそもトラックでさえ本当に入れるのか?といった道路です。
今は国が作ってくれたコンクリの道路がありますが、かつては砂利道でした。
そういう環境の中で、普通にトラックや重機が入ってくるのも難しい。

 

その中で「100トンの岩」を求めること自体が、普通の人では考えられないことです。
人はあまりにもかけ離れたことを祈ることは
普通はあまりしないものではないのでしょうか。

 

それでも鄭明析牧師先生は、「1000年もの間、残る岩を」と
神様に栄光を帰すために求めたんです。
誰が自分の為に岩を求める人がいるでしょうか。
神様の為に祈って求めました。

 

そう言っておきながら、一方では、
「全能者はどんな形であれ、できます。
だから月明洞にびっくりするような、数百トンの岩を下さるなら、必ず記念になるように下さい。
無から有を創造してください。どうせなら500トンぐらいある岩を下さい。

 

皆が見て、『うわっ!』と感嘆するような岩を下さい。
ただの岩の塊では意味がないから、意味があるもので下さい」と言って、
信じて具体的に祈りました。

 

先生は、いつも具体的に祈ります。
それが私も摂理に来てから学んだことの一つでした。

 

神様は神様に接した通りに返してくださいます。
具体的に祈ると、具体的に与えてくださいます。

 

「求めよ、そうすれば与えられるだろう」
普通に求めてもくださいますが、
具体的に祈った時にそれが御心の範囲であれば必ず与えてくださる神様です。

 

その後、ある日「今の自然聖殿の西側」、「昔の(先生の生家の)上の家の畑側」に、
「大きい枕ぐらいの大きさの石」が突き出ていたのを思い出しました。
その時に「その石を掘りなさい」という感動が来ました。

 

ただちにその場所に行ってみると、先生が10代の時に上の家のお兄さんだったパク執事が畑を耕していた際、
その石に犂〔すき〕が引っ掛かって、腹を立てて金槌〔かなづち〕で割ろうとした岩でした。
その時先生はその様子を見ながら、「割らないでそのままにしておこう」と言った岩でした。
結局、少し割って、割るのをやめた岩でした。

 

お祈りをすると、自分ではよく覚えていなかったこと、
意識していなかったことを思い出せるようになります。
これは瞬間、思い浮かぶこともあれば
何度もお祈りして思い浮かぶように神様が導いてくださることもあります。

 

これはお祈りの味とも言うべきでしょうか。

 

感動が来たとおりに、
「少し突き出ているその岩」の周りにある土を少しずつ掘り下げようと、弟子たちを呼びました。
そして「傷がつかないように、手で少しずつ土を掘るように」と言いました。

 

一カ月ほど掘ってみると、その形象は<歩いていくラクダの形象>でした。
ラクダの首は数メートルにもなり、体の長さも長いものでした。
「全体が500トン以上ある、大きな岩」でした。

 

先生は、お祈りを通して神様が心に与えてくださったメッセージを
即実践します。
それが凄いところです。

 

私が初めて月明洞に行ったときは、ラクダ岩は見つかってませんでした。
ただ、ちょっと岩があるくらいでした。
先生は、祈って神様が既に与えてくださっていたものを見つけました。
でも通常は、岩がちょっと出てるくらいじゃ掘ろうと思わないと思います。

 

結局神様は、求めたとおりに下さいました。
あれほど大きくて重い岩は、見つけることも難しいし、
また見つけたとしても、現代の装備では、数百億ウォン払っても運べないから、
神様は<方法>を変えて「小さく突き出ていた岩」を思い出させて、
それを掘り出すようにさせ、見つけるようにしてくださったのです。

 

お祈りをしていると
神様に与えてもらった時、それが神様が下さったものだと分かるようになります。

 

「運が良かった」

 

でもその運を誰が与えてくださったのかを人が知った時
神様はどれだけ喜んでくださるでしょうか。

 

神様が与えてくださったものは
まさにこの地に眠っており、自分の地に眠っており
私達の中に、個々の中に眠っています。

 

神様が用意しておいてくださった岩です。
求めて労苦してそれを見つけるようにさせてくださいました。
先生が10代の時にパク執事がその石を割ろうとした時、
神様はすでにご存じで、私を通して割れないようになさったのです。

 

神様がくださったものは、神様がずっと大事にしてきたものです。
何でも人にあげるときに、そのプレゼントが傷つかないように
大事に守りますよね。
鄭明析牧師先生が10代の時というくらいだから
数十年間、神様が誰も知らなかった中で
ずっと守られてきたんですよね。

 

<ラクダ岩>の値打ちは、全体が金塊の値打ちです。
全国、全世界を探してみても、あのような岩の形象はありません。
神様と聖霊様と御子が下さったから、その「いきさつ」と共に輝く、<偽りない大傑作>です。

 

確かに、これと同じものは見たこともない岩。
一つだけならまだしも二つですから。
写真だけでは全てを表すのが難しいほどで
おそらく映像で見たほうが分かりやすそうです。
(今度、WMDに行った時にちゃんと撮ってきます!)

 

ラクダに見える、ここまで巨大な岩が月明洞にあることが本当に祝福であり
経緯が経過が祝福です^^
結果だけなら、そこまで大事に思えないですよね。

 

聖書を見ると、メシヤ・イエス様が生まれた時、東方の博士たちが星を見て、
イエス様がお生まれになった所まで「ラクダ」に乗って行きました。
月明洞は地域全体が「星の形」です。運動場を中心に、
「五つの谷あい」からなっているので、「星の形」が出てきます。

 

そうなんです。
月明洞は星の形になっています。
風水的にもとても良い場所なのだそうです。
5つの谷あいを人工的に作るとしたら相当難しいです(ってやったことないけど。。。)
神様が何か意味をもって与えたのでしょう。

 

月明洞の<ラクダ岩>は「象徴」です。
一つ、コツコツと砂漠を最後まで歩いていって、喜びの知らせを聞いて帰ることを象徴し、
二つ、「大きい人物」が生まれたことを象徴します。

 

もし<ラクダの形象>でなく<馬の形象>が出てきたなら、聖書を中心にして「他の解釈」が出てきたでしょう。
神様は<それに該当する万物>を見せてくださって、それに従って啓示して話されながら、「御心」を成されます。

 

<ラクダ岩>を見ると、「その実物」が「言葉」となって、神様が「おっしゃりたいこと」を話されます。
「東方の博士のラクダのように、ここに貴重な人たち、証人たち、敬拝する人たちを乗せて来る。
これは新婦を象徴する雌のラクダだ」とおっしゃいます。

 

今、月明洞は一年中、韓国人は勿論、海外の人達もたくさん訪れています。
アジア圏はまだ近いから旅費も超高額ではないかもしれないけれども
北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ圏からも来ているのを見ると
「貴重な人たち、証人たち、敬拝する人たち」
が集まっているというのもうなずけます。

 

摂理人だけではなく、摂理人の家族など信仰をもっているわけではない人でも
月明洞には訪れます。
鄭明析牧師先生が生まれた片田舎。

 

ここで、たくさん神様に祈り、イエス様を愛し、生きました。
本当に夢も希望もない土地だったとよくおっしゃいますが
今では全世界から人々が集まる地になりました。

 

形象石はラクダ以外の場合でも凄かったかもしれません。
でも、ラクダだったからこそやはり意味があります。

 

また<ラクダ岩>は、「実物」が「言葉」となって、
「成約歴史が千年流れる間、証しながらいきさつを話してあげる」と言って、証をします。
ルカによる福音書19章40節を見ると、イエス様は
「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」と言いました。

 

御子は、「<御子岩>、御子岩の中の<神様の形象岩>、<聖霊様の形象岩>、
<ワシの形象岩>、そして<大いなる岩の顔の岩>、<食膳岩>など、
<万物>が「文字」となり「言葉」となって、無言で話してくれている。

 

皆、<万物>を見て、それを下さった神様と聖霊様と私御子と対話しなさい」とおっしゃいました。

 

この岩が何かで崩れるとかは到底考えることができません。
どんなに優秀な建物でも岩にかなうものは無いのではないでしょうか。
月明洞には岩がたくさんあります。

 

多くの岩を通して、神様が語りかけてくれます。
誰が語らずとも、<そのような形>をもってる岩を通して
多くのものを感じ、悟らせてくださいます。
それは貴重な価値があります。

 

私達の人生に深く関係することを悟らせてくださいます。
月明洞の中にある奇跡の岩、らくだ岩。
らくだ岩以外の岩も、それぞれ経緯があります。

 

このように、私達も一人一人、
全く違う神様との経緯があり
一人一人が宝物です。

 

らくだ岩のように眠っている、まだ発見されていない私の中にある
神様がくださった宝物を
私も今週、必ず見つけ出したいです。

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