月明洞ソンファンダン周辺の岩の造景奉仕活動を終えました。
この場所をこのようにするにあたって、多くのボランティアの方が時間を出していました。
月明洞ではあらゆるボランティアがありますが、たった一時間だけでも手伝った学生はこう言いました。
「とても足腰にきた!」と。
この場所を綺麗にするにあたって、月明洞のボランティアたちをまとめていらっしゃる牧師さんはこう言いました。
「ボランティアを大変だと思ったら、一日でも出来ません。
肩はいたいし。本当に苦しいときもあります。でも嬉しく思ってやっています。
やっておいたものを見る時に嬉しいです。
周りの人も心配するけれど嬉しいのです。」
牧師さんはこう続けます。
「自分がやらないといけない。それが主人として生きる人生です。主人であれば嬉しいのです。」
人は何かを行なう時に、嬉しくない時も、嬉しいときもありますよね。
その違いはなんでしょうか。自分がやらなきゃ!という主人としての思いだと言いました。
お母さんが毎日お弁当を作る。
はたから見たらお母さんは大変ですよね。
でも、お母さんは子供達を愛するから、大変だったとしてもお弁当を喜んで作る。
ボランティアたちも強制で出来ることではありません。
自分でやりたい!自分がやらなくては!という思いで参加している人達です。
そういった思いが詰まっている月明洞の岩の造景、皆さんはどう感じますか?