昨日は長崎に原爆投下があってから71年がたった日でした。
今年の1月に長崎に行き、爆心地を見てきたので今年はまた違った気持ちでこの日を迎えました。
長崎という場所は本当に歴史が深い街であり、一言で長崎について語るのは難しいと感じます。
特に信仰あるものの一人として、長崎を信仰の目で見たとき。
神様の思いを深く感じるしかありません。
神様が愛したに違いない長崎に。
何故、原爆が落とされなければいけなかったのか。
神様は71年前のその日、笑顔で過ごすことができたでしょうか。
神様は血の涙を流されるとおっしゃいますが、71年前、長崎の地に神様の血の涙が流れたことは言うまでもありません。
長崎が、信仰の町として絶対に欠かすことができないのに。
神様がいかに苦しく、いかに血の涙を流されたでしょうか。
苦しむ人たちを見ながら、神様は笑顔になる方でしょうか。
71年前、長崎の地ではその日、普通の生活をしていた人たちが原爆によって一瞬にして亡くなりました。
長崎を「最後の被爆地」だとおっしゃる方もいました。
誤解を恐れずに言えば、本当に最後の被爆地であってほしい。
もう二度と、この地球上に、核が投下されるようなことがあってはならない。
日本国民の一人として、信仰者の一人として、心からそう思います。
世の中で最も理想的な生き方をする人というのは、兄弟を愛し、仲睦まじくお互いに平和を作り出して生きていく人達です。天の前でも人の前でもそのように生きていく人達は偉大な生き方をする人達です。平和を作り出す人達には戦争はありえないし、戦いもあり得ません。不満不平の中で暮らしている人達は、毎日、心の戦い、戦争のみならず、肉的な戦争が絶え間なく続きます。だから神様はイエス様を通しておっしゃいました。「平和を作り出す人達は幸いだ。その人は私の子と認められるだろう」とおっしゃいました。
2001年4月1日 平和を作り出す人は神様の子 主日の説教より
最後に。
長崎を訪問した一人として、長崎が神様に心から愛されてることを確信しています。
ずっと変わらない神様の愛が注がれていることを信じます。
冒頭写真出典:Wikipedia 原爆投下から15分後に香焼島から撮影されたキノコ雲(松田弘道撮影)