ここ数年、YouTuberと呼ばれる人達が出てきて、今では小学生の将来なりたい仕事にYouTuberが入っています。
YouTuberとは
YouTube上にて自作の動画を投稿し、広告収入を得ている一定の集団を指す呼称である。byニコニコ大百科
YouTuberになりきる息子
小学3年生の息子さんが、YouTuberになったつもりで「はいどうも、皆さんこんにちは。今日は○○を紹介していきますよ」などと言いながらPCに向かって友達と会話しているそうです。みんなYouTubeを見ているので、特にツッコミを入れるでもなく、ごく自然な会話として受け止められています。
引用:itmedia
毎日新聞ニュースサイトで、兵庫県立大学・竹内和雄准教授が、大阪府内のある小学校が調査したという「4年生男子の将来の夢」を紹介。それによると1位「サッカー選手」、2位「医者」に続き、3位に「ユーチューバー」が登場しており、ネットユーザーの間でも話題になっている。
2016.3.26
引用:R25
有名なYouTuberの方々の映像を見た人たちからこんな感想を聞くことがあります。
「なんであれで人気なのか分からない」
「誰でも出来ると思う」
分かります。そう見えたりもしますよね。
でもふと、こんなことを思いました。
「思ってるだけじゃなくて、それを外に出したから人から反応が返ってくるんだよな」
「実際に行うのと行わないのとでは天地の差なんだな」
YouTuberの方々は、考えてるだけじゃなくて実際に映像にしてそれを出す。
たぶん、考えてる人はいっぱいいるのかもしれない。
でもやはり、そこで行うか行わないかの差なんだなと思ったのでした。
リアルの世界も、ネットの世界も、行ったら何かしら反応があるし、その反応が自分が思っていたこととぜんぜん違ったりもする。
行う前は、自分の想定内のことしか反応が見えないけれども、行うと驚くことがたくさんある。
やはり、この時代は行った人のものであるという御言葉を実感するし、実際に行う人にはかなわないなと思うのです。
実際にやってみたら、簡単に見えるようなことでも実は大変なこともいっぱい。
口では言えても、じゃあやれるか?出来るか?というと別問題。
人は道を歩いて行く時までだけ行くことができます。
続けて歩くことで存在をさせなければ、それ以上一歩も行くことはできません。自分の人生の生もそうです。続けて行ないつつ存在する時までだけ存在します。
すべての存在の理致は同じです。さまざまに存在させるためには「行なわ」なければなりません。
-摂理 キリスト教福音宣教会 2016年10月2日 主日礼拝の御言葉より
私は、主と一体となって今はひたすら実践したい。
「あとは実践だけが残っている。」
この言葉にしびれました。
冒頭画像出典:creatorbit.com