今日は広島への原爆投下から70年
本日行われた高校野球開会式の宣誓でも、8月6日という言葉が出てきた。
宣誓
1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。
それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。
この100年、日本は激動と困難を乗り越えて本日の平和を成し遂げました。
このような筋目の年に聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、
そして支えていただいたすべての方々に感謝して全力でプレーをします。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います。1915年(大4)の第1回大会優勝校、京都二中の流れをくむ鳥羽(京都)の梅谷成悟主将(3年)
原爆投下は未来永劫、もうあってはならないこと。
戦争は絶対にあってはならないこと。
この世で殺されていい人なんて一人もいないんだ。
神様はこの世を争わせる為に作ったんじゃない。
はだしのゲンは漫画で、かなりリアルに描かれていて
それだけでかなり怖かったけれども
現実は漫画を超え
現実は映画を超え
現実は文章を超える。
それが分かってるのは何より当事者であり、それでも記録を残してくれたから
辛い中、思い出したくないことまで後世の為にと残してくれたから
今、私達が原爆について平和について考えることが出来る。
私は後世に何を残せるのか
少なくとも戦争だけは絶対にすべきではないと。
私の祖父母世代は戦争真っ只中を潜り抜けてきたと。
戦争はほんの少しのことがきっかけで起きてしまうと。
神様はあなた達を戦争させるために生まれさせたのではないと。
それだけは伝えたい。
その考えだけは伝えたい。
<考え>によって「栄えるか、滅びるか」が左右される。
摂理の鄭明析牧師の明け方の御言葉より
平和に対する考えを奪われたら死んでしまう。
原爆が落ちて誰が喜んだのか?
最終的には誰の喜びにもならない。
もちろん。
日本が過去した戦争、世界が過去した戦争、絶対に繰り返してはならない。
悲惨極まりない。
私達は未来に対する責任がある。
未来に平和に対する考えを伝える責任がある。
私自身が伝える考えを、平和を行動で表す考えを、絶対に捨てることが無いように。
70年前の今日、広島への原爆投下が原因で亡くなった全ての方のお墓へ この花を捧げます。