決壊の向こう側
テレビ中継の最中、テレビの向こうで流されていく人達。必死に救助を求める人達。
録画で後から見るんじゃなくて、LIVEだから 今までとまた感じるものが全く違った。
必死に手を伸ばす人達。私はここだとアピールする人達。
助かって、抱き合って涙で喜ぶ人達。
ヘリでギリギリまで屋根に近づいて、自分も飲み込まれるかもしれない濁流に飛び込んで行く自衛隊の人達が一人一人ずつ助ける。
助かるまでじっと待つ人達。
その目の前を流れていく家々。
私が助けに行けるものなら行きたい。
私が手を伸ばして助かるなら助けたい。
小さい子供なら、、、私が代わってあげたいとさえ思う。
どうして私はここにいるのだろう。
どうして私は助けてあげられないのだろう。
どうして泣き叫ぶ人達に私は何も出来ないのだろう。
どうかあの人達が助かってほしい。
生きたいと思ってる人達が助かってほしい。
いつも通る常総市だもの。どうだっていい場所なんかじゃない。
一人も死んでほしくない。
主よ、主の心情をリアルタイムで感じるしかありません。
主は生きていらっしゃいます。主は全てを見ていらっしゃいます。主は全てをご存知です。
どうか皆を助けてください。
今日の常総市
今日になって、通行が可能になった部分を通りながら常総市に足を踏み入れると
いつもの景色は様変わりしていました。
収穫直前であったであろう田んぼには、多くの物が流されてきていた。
田んぼの頭だけしか見えない場所もある。
鬼怒川の水位は下がったと言えど、まだ高水位だ。
通行止めになっていない道路でも、まだ少し冠水している場所がある。タイヤの4分の1くらいは埋まるくらいだろうか。
道路に沿う田んぼ、水が満杯の状況だ。
排水溝もあふれるギリギリだ
信号がついてない。
通行禁止の部分もまだたくさんある。
そんな中、コンビニでは商品を外に出しての営業。
コンビニの中では、掃除が続く。
車の半分が泥につかっていた形跡がある車が多数あった。
取り残されたままの車もあった。
自衛隊、災害救助の疲労
茨城県内だけでなく、東京と書かれた消防車が走る。
自衛隊の車が何台も走る。
自衛隊の方も夜を徹しての作業で疲れ果てたのか
自衛隊の車と車の間のコンクリの上で、複数の人達が横になっていた。
とても頑張ってる人達なのに、ここに寝かせるしかないのか可哀そうに申し訳なくも思った。
まだ行方不明の方もいるし、東北でも被害が出ているから
必ず一人残らず救われることを本当に切に祈ります。
祈りは愛だ
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より