韓国 李明博元大統領逮捕 何が起きたのか

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韓国の李明博(イ・ミョンバク)元大統領が逮捕された。

李元大統領とはどのような生い立ちと経歴を経て、大統領になったのか。
大統領時代は何を行ったのか。
何の罪状で逮捕に至ったのか。
そして、大統領時代の罪が何故今頃、問われる事態になったのか?

これらをまとめた。

 

目次

李明博大統領の略歴

李元大統領は日本生まれ

1941年12月19日 大阪平野区加美南福井戸町生まれ。日本名は月山明博。
当時、大阪(日本)の島田牧場に住んでいた両親の4人目の子供として生まれた。
両親は出稼ぎのために日本に来ていた。

 

1945年に韓国が解放され、韓国には同年10月に帰国。
李元大統領の姉は「名古屋付近の港から密航船に乗って韓国に帰ってきた。(密航船に乗ったのは)韓国と日本を行き来する定期船に乗った場合、日本で築いた全財産が押収される可能性があったから。」と明らかにしている。

 

しかし、この密航船が対馬沖で座礁。家族全員無事だったものの、全財産を失ってしまった

 

極貧の中で成長する

韓国に帰国後は極貧生活。当時、貧しい人々が住むといわれた慶北・浦項で家族で暮らした。
一家の主食は、<酒粕のなかでも最も安く品質の悪いもの>であった。
学生時代に李元大統領自らアルバイト(行商)をし、高校は夜間高校に通った。
アルバイトは生地売り、米軍部隊のゴミ集め、マッチ売り、リヤカーでの果物売り、清掃員など「やらなかったものはない」というほど多くの職種についていた。

 

李明博少年とキリスト教信者の母

李元大統領の母は毎朝4時に、教会で明博少年と祈祷を捧げていた。しかしその祈りは親せきや周りの人たちの為に祈り、明博少年の為に祈る時間は最後に付け足される程度だったという。李元大統領は、この母の影響を強く受けたと話している。

 

屈辱を受けた少年時代

明博少年が汗を流しながら垢だらけの風貌で屋台をひいていたとき、女子高生から嘲笑を受けた。
また、果物を積んだリヤカーが車にぶつけられ、商売道具が台なしになった。しかし逆に相手に怒鳴られた。そのような目にあっても商売をしようと、母は明博少年に話した。

 

高麗大学時代

高校卒業後に受験勉強しつつも働き、学費を貯めた。
高麗大学入学後は市場の清掃員をしながら大学に通っていた。大学時代は学生会長を務めることになるのだが、この学生会長は選挙で決まる。本人が言うには「内向的で卑屈になりやすい自分から思い切って脱却」するために、自ら立候補した。
なんと僅差で勝利。そこからは抜群の指導力を発揮したと言われ、民主化運動を組織した。
約1万2千人のデモを統率し、第6次日韓会談を中止させた(6・3闘争、日韓基本条約反対闘争)。植民地から解放されてわずか20年足らずで、その支配国であった国と再び国交を正常化しようとしていたことに反対したものであった。
その後、国家内乱の罪で全国指名手配され逮捕、6カ月間の服役を余儀なくされた。

 

異例のスピード出世、入社12年目で社長に(1965年~1992年)

大学卒業、就職口を見つけようとするも青瓦台(大統領官邸)から圧力がかかり、就職が難しくなっていた。朴正熙元大統領に「一個人が自分の力で生きようとするのを国家が妨害すれば、国家はその個人に永遠の負債を負うことになる」と直訴し、25歳で現代建設に入社した。

現代建設とは現代グループの一つ。今では大企業だが、李元大統領が就職した当時は中小企業だった。その現代建設に入社して12年目で李元大統領は社長となる。
異例のスピード出世で、<サラリーマンの鏡><模範的なサラリーマン>とまでメディアに称され、テレビドラマになるほどであった。

なんと入社当時90人だった従業員を、46歳で会長職を退いたときには10万人を超える企業にまで発展させた。1日に5時間以上寝たことがなく、18時間は働いていたと言われている。

51歳になった92年には退社し、国会議員に初当選した。

 

国会議員時代 辞職に追い込まれる(1992年~1998年)

選挙参謀の選挙資金がらみの違反が発覚し、1998年に辞職に追い込まれた。その後は1年間渡米して大学の研究員をしていた。また2000年からカンボジアのフン・セン首相の経済顧問に就任した。

その後、韓国内の恩赦により政界復帰が許され、ソウル市長に立候補。当選した。

 

ソウル市長時代(2002年~06年)

61歳でソウル市長に就任(在任2002年~06年)。高架道路が建設されていた清渓川(チョンゲチョン)を、清流として復元するなど、その並外れた行政手腕と実行力をソウル市民に評価された

清渓川の復元工事は市民の猛烈な反対を押し切って推進することになるが、結果的には大きな成功となった。
また、ラッシュ時に庶民の足であるバスの専用ラインを設ける政策も推進した。

そして、大統領選に出馬することとなる。

 

大統領選へ出馬、就任へー経済界初の大統領として期待された

李元大統領は2007年10月10日に次のように発言している。
「民主化と産業化に奇跡的な成功を収めた国が、沈滞と混乱に陥っている。わが大韓民国を再び立て直さなければならない。新たな躍進の土台をつくろう。貧しい人が最高経営者になることのできる成就の国、小さな川からでも龍が飛翔するチャンスの国、この誇らしい大韓民国に、汗を流して仕事をすれば誰もが成功できる『国民成功時代』を開こう」

大韓民国大統領選挙では、圧勝で当選を果たした

66歳で軍人出身でも左翼活動家でもない経済界出身の初の大統領として、国民の期待を担って大統領に就任した。

 

韓国第17代 大統領時代(2008年~2013年)

主に掲げた政策

・経済の回復、韓国747計画(年7%成長、10年以内に1人当たり国民所得4万ドル、10年以内にG7入り)
・国内では大規模なインフラ事業である朝鮮半島大運河計画を公約に掲げ、四大河川事業を急ピッチで押し進めた。
・教育面で苦学生の為の奨学金制度改革を進めた。
・外交ではアメリカ、日本、中国、ロシアとの関係強化を宣言。北朝鮮に対しては盧武鉉前大統領が進めた「太陽政策」とは一転し、比較的厳しい政策をとることとした。北朝鮮からは「裏切り者」や「鼠」と呼ばれていた。

大統領のときに起きたこと

就任直後の2008年4月に米国産牛肉の全面的な輸入再開方針を決定した。当時は狂牛病問題が続いていた。この安全性の問題から国民の猛反発を受け支持率も2割前後に急落、連日に渡って大規模なデモ隊の抗議運動を受けた。公約として進めていた朝鮮半島大運河計画も反対にあい白紙となった。

宗教面では自身がキリスト教徒な事もあり、キリスト教を優遇していると反発が起き、それに対処する為に公務員の宗教差別を法律で禁止することとなった。

経済面では2008年9月15日に起きたリーマンショックにより、韓国にも金融危機の波がきた。
しかし世界(先進諸国)の中で最も早くプラス成長となり、それに伴い支持率も安定した。

自由貿易協定(FTA)の締結、平昌冬季オリンピックの誘致、UAEの原発受注など大きな成果をあげている。

 

なお李政権下の2009年には、盧武鉉(ノムヒョン)氏が、不正資金疑惑で検察の事情聴取を受け、その直後に自殺している。(*盧武鉉氏は、李元大統領の前の大統領)

 

李元大統領と日本

李元大統領は大統領就任前から「日本は過去の謝罪や反省は不要」と話していた。

日韓関係を就任当初は重視していた。李元大統領の兄は、「韓国の企業が海外で開発や建設を行う場合は、日本企業と協力するように」と促していた。従わない企業には、自ら説得に当たっていた。

しかし2012年8月10日、韓国の大統領として初めて、李元大統領は竹島(韓国は独島)に上陸した。日本側は猛反発した

これは何故だろうか?
韓国の憲法裁判所が、慰安婦問題について日本と交渉しないのは「不作為で憲法違反である」との判決を下したことから、野田首相(当時)との日韓首脳会談で、「慰安婦に対し温かい言葉をかけてほしい」と伝えた。しかし野田首相は応じなかったために、“対日強硬路線”となったといわれている。

李元大統領の兄はこの頃逮捕されており、日本との橋渡し役を欠いた状態で起きた出来事であった。

また2012年8月14日、李元大統領は天皇陛下について「韓国を訪問したければ、独立運動で亡くなった人々を訪ね、心から謝罪してほしい」などと謝罪要求したことで、またもや日本から猛反発をくらっていた。

 

李元大統領 逮捕 2018年3月23日

2017年、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が逮捕された際、「次は李元大統領か?」とメディアでも騒がれ始めていた。

逮捕容疑の内容

容疑は収賄、背任、脱税、職権乱用などだ。現在も捜査中であるので、全て<疑い>の段階だ。

・在任中に情報機関の国家情報院(国情院)から約7億ウォン(約7000万円)の裏金を当時の高官を通じて受け取った疑いがもたれている。

・李容疑者が実質的に所有していたとされる自動車部品製造会社「ダース」の米国での訴訟費用をサムスン電子に負担させ、見返りにサムスン電子会長に恩赦を与えた疑惑。収賄額は約110億ウォン(約11億円)、生み出した裏金は約350億ウォン(約35億円)に上るとされる。

聯合ニュースによると、逮捕状に記載されたのは収賄容疑のほか横領や脱税など約10の容疑で、追加捜査次第で約20まで増える可能性があるという。
参照:毎日新聞

 

韓国保守政権の大統領経験者、李元大統領、朴元大統領と2代続けて刑事責任を問われる事態となっている。

李元大統領は検察の取り調べを現在、一切拒否している。取り調べ拒否には「捜査は政治報復だ」という認識を強調する狙いがあるとみられる。捜査に対し、現在の文在寅政権下での「新しく権力の座に就いた左翼・革新勢力による過去の保守政権に対する政治的弾圧・報復であり、見せしめ」と主張し続けている。

また李明博政権下で検察の事情聴取を受け、その後に自殺した盧武鉉元大統領は、文大統領の友人だった。盧氏をめぐって、文氏と李氏は因縁の仲といわれている。

 

なぜいま、逮捕されるに至ったのか?

繰り返しになるが、現在の文大統領の前はご存知の通り朴槿恵前大統領。
その前が李元大統領だ。

2013年に大統領の職は任期満了で離れている。
なのに2018年、今頃になって何故、逮捕されたのか?

朴前大統領と、李元大統領は同じ党、同じ保守派の出身だ。
李元大統領は朴前大統領が当選するよう、様々な働きかけをしたともいわれている。

朴前大統領も、李元大統領の「BBK疑惑(株価操作疑惑)」を指摘したことはあったが、当選後には特に追及などはしていない。

 

しかし文大統領は違う。進歩派だ。

 

朴槿恵時代に不遇をかこった権力と距離を置く検察官が捜査のトップに任命された。
「清算を」と訴える世論の強い支持も受けて「国を私有化した」とされる、李元大統領への捜査が本格化したのだ。

前述の通り、自殺した盧武鉉元大統領のことも感情としては関係しているのではとの報道もある。

 

韓国の帝王的大統領制に変化は起こるのか

「帝王的大統領制」ともいわれる韓国の大統領。巨大な権力が集中し、またその権力に群がる人々を揶揄して言われている言葉だ。歴代の韓国の大統領が悲惨な末路をたどっているのはこの帝王的大統領制に原因があるとされる。

この状況を改善しようと韓国の文政権は3月26日、大統領任期を現行の5年から4年(1回のみ再選可能)とし、大統領権限を分散・縮小することを柱とする憲法改正案を国会に提出した。

 

真実は明らかになるのか

自分の国の問題でさえ分からないことが多いのに、ましてや違う国のことを知ろうとするとどれだけ時間を割いても理解してるのかさえ分からない。

 

今回、この記事を書くのに3日、かかった。

李元大統領の生い立ちを含めて知ると、同じニュースでも違った思いになる。

 

李元大統領が何をしたのかは本人しか分からないし、また神様にしか正確には分からない。

李元大統領が罪を犯したのであるならば悔い改めるべきだし、そうでないならば早く解放、釈放されるべきだ。

 

「近くて遠い国」と呼ばれていた時代は過去の遺物となった。

自分自身が関心を持てば近いし、関心が無ければ遠い国となる。

 

隣国で起きた出来事だから無関係とは言えない。

 

しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。
新約聖書 ヤコブの手紙4章12節

 

あなたは兄弟を憎まないで、最も大胆な愛をもって敵まで愛しなさい。愛においても大胆な人にならなければならない。
鄭明析牧師の箴言集より

悪は憎んでも人を憎んではいけない。悪人でも愛したら善人に変わる。
鄭明析牧師の箴言集より

 

神様がどうされるのかを祈りながら注視していきたい。

信仰者としては悪は憎み、人は憎まず、最後まで神様に委ねます。

 

冒頭画像出典:herald

参考:
外務省 李明博大統領 略歴
衆議院HP
ダイヤモンド・オンライン
Record China
朝鮮日報
中央日報
東亜日報
聯合ニュース
時事通信
毎日新聞
朝日新聞
産経新聞
読売新聞
東京新聞
livedoor
デイリーNKジャパン
TBS News
ハフィントンポスト
j-cast.com

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