妻が殺された後、10年かけて法律を変えた男性とは

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愛する人を失った後、または愛する人が危害を加えられた後、自分はどうするだろうか。

 

「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が6月、解散することになりました。

この会の目的は、犯罪被害者の権利と被害補償の確立を目指し、2000年に設立されました。

NEWSにもたびたび取り上げられ、この会があることで
・殺人罪の時効撤廃
・刑事裁判への被害者参加
などの大きな変化がおきました。

 

全国犯罪被害者の会 設立メンバーで、中心的な役割を果たしてきた岡村勲弁護士(89)は「犯罪被害者が置かれた環境の改善という一定の目的を果たせた」と語る。

岡村さんは1997年、顧問弁護士を務めていた証券会社に恨みを持つ男に妻真苗さん(当時63歳)を刺殺された。

被害者・遺族の立場で刑事裁判を経験し、遺族が「証拠品」扱いされ、法廷の柵外に座らされることなどに疑問を感じて会の設立を決意した。
出典:毎日新聞

 

私はこの記事を読んだとき、とっても胸がつまる思いになりました。

 

当時の事件を調べてみるとこのような記事がありました。

 

結婚して指輪を初めてプレゼントしようとしたその日の夜。
妻真苗さん(当時63歳)は、宅配便を装い襲撃した男に殺されました。

岡村さんに恨みをもち殺害を計画したその男は、岡村さん宅を訪ねたものの不在だったため、対応した妻 真苗さんを殺害したのです。

 

自分自身に恨みがあっただけでも本当に嫌な気持ちになるだろうに、まさか奥さんを殺されてしまうとは、、、当時、どんなに苦しい気持ちになったことでしょうか。

 

奥さんのご遺骨を抱えながら、3日間、奥さんのゆかりの場所を巡ったそうです。

 

そして裁判。
当時は、犯人(容疑者の男)がどんなに奥さんや岡村さんを侮辱する言葉を放ったとしても、一切、遺族側の発言は許されなかったのです。ただ黙って聞いてるしかなかったのです。

検察側に死刑が求刑されたものの、男には無期懲役の刑が下されました。

 

事件から三年たったとき、70歳だった岡村さんは、被害者家族の会を立ち上げました。
専門家からの反対などもあり、順風満帆な活動とはいきませんでした。

その後、被害者遺族が裁判に参加できるよう、発言できるように署名活動を始めます。
1年半の活動を通して集まった数は、なんと55万名。

 

眞苗さんの事件から実に10年が経過した2007年6月20日。
被害者が裁判に参加できる制度などの法案が、国会にて圧倒的多数で可決されたのです。

 

今では被害者遺族が法廷で発言することは、当たり前かのようになってきましたが、その裏にはこのような経緯があったのです。

 

殺人罪の時効撤廃が議論されていた09年、心筋梗塞(こうそく)で倒れた。「『妻のあだ討ち』としてたたかってきたが、エネルギーがなくなってきた」。体力の限界を感じ、会の解散を意識するようになったという。

 真苗さんは大学卒業後に旧労働省に入庁したが、子育てを理由に数年で退職した。「妻はやりたいこともできずに亡くなった。でも『あすの会』の活動のいきさつを調べれば、妻の事件に行き着く。妻の名を残せたと思う」と話す。

引用:毎日新聞

 

愛する人を殺されたことで本当に傷を受けたはずですが しかしその後、法律を変えるまで動いたことがどれだけ偉大なことでしょうか。

 

私も、このような生き方をしたい。
自分の目の前のことだけに溺れることなく、もっと大きく生きたい。

 

そのように思いました。

 

参考:奇跡体験アンビリバボー 法律を変えた男 愛する妻のために激闘10年!

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