命どぅ宝とは、命こそ宝ですという意味です。
私が沖縄を訪れたのは中学生と高校生のとき。
一度目は母親と、二度目は高校の修学旅行。
「命どぅ宝」という言葉をあちこちで聞きました。
6月23日は今から七十三年前、沖縄戦の旧日本軍による組織的戦闘が終結したとされる日です。
命はたった一つしかない、神様が全ての人に与えてくださった最大のプレゼントです。
人間の知能や技術がいくら大発展しようとも、命を作り出すことは出来ません。
命への害は、最大の損です。
戦争をしたら両方とも損だ。
敗戦した国は滅び、戦勝国もとてつもない被害を被るようになる。 戦争をしたら、命の損失、経済の損失が大きく、戦争による病気が発生し、伝染病がはやり、それまで建てておいた建物や道路がすべて破壊され、それまで開発したものまですべて破壊されて廃墟になる。
小さい砲弾一つ爆発するだけでも、そこは廃墟になる。
原子爆弾とミサイルは一つだけ爆発してもその地域がすべて破壊され、その地域の人たちもみんな死ぬ。原子爆弾が爆発する光を見るだけでも目が見えなくなり、その空気に触れるだけでも肌が腐る。
また、軍人一人が武装したら、民間人、数百人も殺せる。そのような軍人が100万人も出動して戦う。銃弾一発あれば命を奪う。
だから戦争が起こったらどれほど悲惨だろうか。
鄭明析牧師の箴言より
戦争が起こったら、自分にも自分の大切な人にも、国家にも、莫大な損害があります。
73年前、決して遠くない過去。
あんなにも綺麗な海と砂浜で、真っ青な空の下で、血みどろの争いが起きました。
集団自決も何度も繰り返されました。
若い女性たち、子供たちも多く死んでいきました。
暗く深い防空壕では、遺体のにおいが充満。
麻酔が無い手術が度々行われ、その叫び声が防空壕内に響き渡っていたといいます。
平和は一日で成せるものではなく、神様と先人たちの努力の上に成り立っているもの。
どんな理由があろうとも、絶対に戦争を起こしてはならない。
この決意は人生一生、絶対に手放すことができません。
この決意を仮に手放す日があるとしたら、私はその日で人間として生きることをも手放す日となることでしょう。
未来の自分への警告です。
あれだけ美しい沖縄の地に、日本に、全世界に二度と争いが起きることが無いように。
ただただ、神様の望む平和だけが満ちるように祈ります。
新約聖書 ローマ人への手紙12章18節
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。