香港のデモは何故起きているのか?-2019

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平和的といわれた香港のデモだったが、一部が暴徒化し 香港議会(国会)が3時間あまり占拠された。
警察は強制排除し、ケガ人も出た。

 

香港デモの中心は若者たちだ。

 

暴徒化については様々な報道がされている。

東京新聞
(香港の)一般市民の反応は微妙だ。
「何らかの行動を起こす必要はあるが、暴力的なやり方は賛成できない」(二十五歳男性)
「占拠は香港人の決意を示したが、それでわれわれの要求が通るチャンスはごくわずかだ」(二十二歳男性)
と、全面的に支持する声は少ない。

香港メディア
今まで平和的なデモだったが、暴徒化するように警察や親中派がしむけたのではとの憶測がある。

*親中派とは中国に好感を持つ人々

 

香港デモはどこへいくのか。

 

香港の教会メンバーはこう話す。

暴力では問題を解決できません。早く意味のある対話ができるように、市民と政府がお互いに歩み寄って欲しいです。

 

目次

香港デモの暴徒化 議会が一時占拠される

1日深夜から2日未明にかけ、香港市民らが破壊活動のうえで香港の立法会(議会)を占拠、香港警察は<強制排除>した。

香港政府トップの林鄭行政長官は緊急記者会見を開き、一部のデモ隊の暴徒化を批判、違法行為の責任追及をすると話した。

 

2014年雨傘運動の経験から、平和的なデモが行われるはずだったが

香港では2014年に若者による雨傘運動と呼ばれたデモが起こっている。このデモは、香港の人々が選挙に参加できないことを変えたい目的(選挙の民主化)で起こった。しかし、最終的には失敗したと言われている。その理由に「デモが暴徒化し、79日に渡って道路などを占拠した結果、香港の生活に影響を与え、世論の反発があった」とのことだ。

この苦い経験があったから、今回のデモは「平和的デモにしよう」という動きがみられた。

実際、今回のデモは「市民生活に悪影響を与えないため、夜は帰る」ことなどが呼びかけられていた。だから市民の賛同も得られたとのことだ。

 

しかし、ここ数日のデモの暴徒化で、同じデモの参加者からも批判的な声が聞かれ、また一般市民も「破壊活動はするべきではない。政府が付け入る隙を与えるだけだ」と話す。好意的だった香港メディア自体も、ここ数日は批判的な論調が目立つとのことだ。

 

今回のデモ発生の理由と背景

今回のデモは何故起こったのか?
香港の逃亡犯条例改正案に対してだ。

 

香港の逃亡犯条例案とは

香港に容疑者が逃げてきたなどの場合、その国の要請があれば容疑者を引き渡しが出来るようにするもの。既に香港は20カ国と協定を結んでいる。しかし、中国や台湾とは結んでいない。

 

逃亡犯条例案が出された背景

2018年、台湾で、香港人の男が殺人事件を起こし、逮捕前に香港に帰国するという事件が起きた。台湾との間には逃亡犯引き渡し条例の協定がないため、台湾へ身柄移送ができなかった。これを背景に逃亡犯条例は提出された。

 

今回のデモの理由とは

中国との引き渡し条例が決まれば、中国当局に批判的な香港人活動家が 中国に引き渡されるのではないかとの懸念があるというのだ。そうすれば、香港の自治が守られない可能性がある。これがデモの理由だ。

香港政府は引き渡し条例の審議を中止した。しかし完全撤回には言及しなかったため、これでデモが終息することはなかった。

 

デモ隊は7月1日、香港政府トップの林鄭氏に対し、
・逃亡犯条例の改正案撤回
・直接対話
を求めた。

 

実は他人事ではないかもしれない引き渡し条例

香港の引き渡し条例は、なにも香港人に限ったことではなく、香港を訪問した外国人たちまで対象になるのではとの話も出ている。

 

香港の複雑な事情

「香港は日本とは違う。」
このようにデモ隊の若きリーダー(22歳)が日本のメディアのインタビューに応えていた。香港ではあらゆる自治、報道の自由や信教の自由などが香港基本法で守られている。

しかし、香港政府のトップを決める選挙権は一般市民にはない。

 

朝日新聞の取材に対し、立教大学法学部の倉田徹教授は
香港は自治政府と言われながらも、
「2007年の全人代(全国人民代表大会 日本で言う国会)で、2017年には普通選挙をやってもよい、という決定がなされています。中国は<行政長官(香港トップ)は愛国者であることが必要>として、中国と対抗する者の出馬は認めなかった。つまり、事実上、民主派が候補になることがほぼ不可能な仕組みにしたんです。」と述べている。

*香港の歴史については、後日まとめていく。

 

若き人々の声と香港のこれから

2014年に続き、今回のデモ隊は若い人々の声が中心になっている。デモが暴徒化する前に何とかならなかったものなのかとも思う。対話すること自体がもう厳しい状態なのだろうか。

 

私が高校生の時、一度だけ参加したデモ

私は高校生のとき、一度だけ日本のデモに参加したことがある。薬害HIV訴訟(薬害エイズ)だ。

厚生省が承認した非加熱血液製剤にHIVが混入していたことにより、主に1982年から85年にかけて、これを治療に使った血友病患者の4割、約2000人もがHIVに感染(既に600人が死亡といわれる)。
非加熱製剤の危険性を認識しながらも、それを認可・販売した厚生省と製薬企業5社を被告とする損害賠償訴訟を起こした。
裁判では厚生省や製薬企業がひた隠しにしてきた事実が明らかとなった。
参照:はばたき福祉事業団

1995年、テレビで原告の1人 20歳の川田龍平さんが顔を明かしつつ、涙ながらに「皆さん来てください」と人間の鎖と呼ばれたデモへの参加を呼び掛けた。川田さんは未成年者として初の日本人HIV感染者として実名を公表していたのだ。当時はまだまだ偏見もあったときだった。だからこそ、実名と顔を公表することに衝撃を受けた。

 

その姿に心を動かされ、高校生だった私は翌日、1人で国会の周辺にいた。デモに参加するからには、それ相応の私の強い思いがあった。同じく、高校生や大学生たちが多くいた。

そのときは暴徒化は無かったと記憶している。暴徒化があったら私は即、その場を離れただろう。人間の鎖デモは、思いは熱くとも 騒がしいものではなかった。薬害HIVに対しては当時のメディアや大人たちの多くの協力と理解があった。私の親も、私がデモに参加することを認めてくれていた。

薬害HIV問題は、国も責任を認め謝罪し、和解と実質的な勝訴を勝ち得たのであった。

 

若き声はどこへゆく?

デモの暴徒化は、良いことだとは私は決して思わない。
相手も傷つけるし、デモ隊自身も当然傷つく。

 

線を越える行為は、味方になった世論も離れていく。

度が過ぎるほどやっていたら、美しさも雄大さも神秘さも減少する。

度が過ぎるほど意識し行なっていて「機会」を逃すようになる。

度が過ぎるほど「線」を越えないで、大胆でありながらも知恵深く行ないなさい。

摂理の言葉より

 

ただ。

一か月間、平和的なデモをしてきた香港の若者たちの声はこの先、どこへいくのか。若者たちの声を、香港政府がしっかりと聞く機会はもうないのだろうか。

誰か、若者の声を聞いて、受け止めてくれる大人は周りにいるのだろうか。

 

私が高校生の時、話を聞いてくれた大人がいたように、誰かいるのだろうか?

それが最も気がかりだ。

 

以下、掲載を迷ったが 香港のデモに参加している大学生のtwitter
及び 香港デモの暴徒化を政府が待っていたのではないか?との報道を載せておく。

 

 

 

 

 

 

 

参考
読売新聞
産経新聞
日本経済新聞
朝日新聞
時事通信
ロイター
JBpress
BBC
外務省
withnews
recordchina
立憲民主党 川田龍平氏のHP

冒頭画像参照:Business Insider

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