今日は、言わずと知れたワールドカップ、遂に開催!!!
今朝のお祈り会の後、うちの教会の摂理男子達は集まってテレビ観戦したそうな
私は最初、
「日本の試合だけ見よう」
って思ってたのですが、ブラジルにも摂理人がいるのを思い出し
「やっぱ、見よう」
と思い返して、途中からでしたが見ました
観戦記録その1
ネイマールのシュート、凄かったですねー
ネイマールのお母さんは大変信仰深い方なのだとか
「信仰深いプロテスタントのナジーニさんはネイマールがまだ子供の頃は試合前にチームの更衣室にまで押しかけ、ネイマールに「キリスト」と書かれたハチマキをさせて神に祈りを捧げるように言い聞かせていた。チームメイトにその様子をからかわれたことからハチマキは父親が止めるように制したほどだったという。しかしその頃の習慣が忘れられないのか、現在に至っても試合前になるとネイマールは度々ナジーニさんに電話をし、一緒にお祈りを捧げるそうだ。「息子には、ピッチに喜びと共に上がり、神様の導くままにプレーするのよと話しています。」
ネイマールの母ナジーニさんの人物像より
そうなのかー
今回はどんな祈りを捧げたんだろう
命の管理をどれくらいすべきか、回数は決まっていない。
ちょうど幼い子どもを育てるお母さんのように、必要なときはいつも管理しなければならない。
そうしていて、大きくなったら管理を受けたがらない。
そのときは自分が自分を管理するようにしてあげなければならない。
2014年5月16日 摂理の明け方の箴言より
母親の愛情管理って、とても大事ですね
観戦記録その2
日本人がワールドカップの初戦、初審判
史上初とのことだそうで。
でも一つ、判定で議論が沸き起こっている
「クロアチアのロブレンがペナルティーエリア内で、ボールを受けたフレジをマーク。この際、ロブレンの手が相手にかかったようにも見え、フレジが自分から転んだようにも見えた。微妙なシーンだった。それでも、西村主審は迷わずPKの判定。クロアチア選手からは、試合後にも猛抗議を受けることとなった。」
時事通信より
見ましたよ。このシーン
大変申し訳ございませんが・・・私・・・、この審判が誤審なのかどうか判断できませぬ
サッカー選手が隣にいたら聞いてましたが。
この判定が正しかったかどうか、神様に聞いてみたいです。
そんな私が一つ、このシーンを見て思ったのは
「きっと神様もこうなんだろうな」
ってこと。
誤審がどうこうはひとまず置いといて(サッカーファンの方は置いとけないと思いますがゴメンナサイ)
神様が何かしらの判断を下した時に
「いや違う」
「酷い」
と詰め寄られることなんて日常茶飯事なんだろうなと思ったのです。
それが正しかったとしても。
私はこのシーンを見た後、神様を労う祈りをしました
だって、責められてばかりいたら可哀そうじゃないですか。
神様だって生きてるんだから。
こうやって何かが起きた時に
「もしかしたら神様もこうなのかな?」
と思えるようになったのは勿論、摂理に来てからです
観戦記録その3
サッカーは試合のシーンが勿論メインですが
私はサッカーが終わった後、ユニフォームを交換したり、お互いの健闘をたたえあってるシーンを見るのがとっても好きです
なんだか、ほっとします。
プレー中も、相手が倒れたら手をとって起こしてあげたり。
1990.5.23
ゴールすることが大切なのではなく、マナーが大切です。
人生を生きる時、より面白くて甲斐ある生き方をすべきであるように、スポーツをするとき負けん気も必要ですが、
楽しくて仲睦まじくしながら、マナーがいい時により意義深いのです。
-摂理・鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師-箴言より
ほんとにマナー大事だし、激闘の末の仲睦まじい姿があると
「サッカーっていいなあ」
「平和っていいなあ」
って思います。
サッカーは平和の為にあるべきですよね
だからサッカーの試合の後に、サポーター同士の激突というNEWSを聞くととても悲しくなります。
いろいろ理由や背景があるのだとは思いますが
サッカーで平和を成せるくらいの平和が世界中に満ち溢れることを祈ります
摂理人のサッカー、平和がテーマのようなものです
試合前も試合中も試合が終わった後も、相手のチームと平和を成せたら一番良い
明日は、日本の初戦対戦国、コートジボアールについて書きます