釜石の奇跡「一人でどんなことに見舞われても」

最近、摂理でよく言われるのは
「個人がよく出来るようになりなさい」
「一人でも出来るようになりなさい」
という話だ。

 

人生の生は個人が一人でいる時が70~80パーセントだ。
だから個人が「生き方」を分かって、個人が「御言葉」を知らなければならない。
そうしてこそ、個人が一人でいても行なう。だから、個人がよくできるように作ってあげることだ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

誰かと一緒にいると強い、一緒に礼拝を守っていると強い
だけど一人になった時が課題だと。

確かにそうだ。
最初は誰か管理してくれる人がいたとしても、成長していくにつれて一人で動くことは多くなる。
一人になっても神様に祈り、神様に聞き、そして実際に行動することが大事になってくる。

子供でも大人でも、しっかりと学んでいたらそれ相応の行動ができる。

「個人がよく出来るようになりなさい」
という御言葉を思い返していたときに、「釜石の奇跡」のことを私は思い出した。

 

目次

「釜石の奇跡」とは

この言葉を聞いたことがある方も多いと思う。
2011年3月11日、
東日本大震災で岩手県釜石市の小中学生の生存率が
他の地域と比べて突出して高い99.8%
だったことから「釜石の奇跡」と呼ばれている。

 

すでに多くのメディアが発信しているように「釜石の奇跡」は奇跡ではない。
奇跡はただ単に神様が与えうるものではなく、必ずそこに条件が伴う。

 

片田教授 (群馬大学大学院)は釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わってきた。
震災が起こる8年も前から防災教育をされてきたということだ。

「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。
特に中学生には
「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。
自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」
と話していた。

引用:大阪市 鶴見消防署 釜石の奇跡

私はこのような教育を小中学校の時に受けた覚えはない。
海から遠く離れている地域ではあるが地震が起こる可能性が無い地域とはもちろん言えない。
「実際に地震が起きたらどうするのか」

一つ覚えているのは
「机の下に隠れること」。

私は3.11のときは東京にいた。
当時は教会の中にいた。
地震が起きた時、皆がとった行動はなんだったか?

 

「机の下に隠れる」
だった。
あとは
「ドアをあける」
ということもやった。

 

大人になっても当然だが教えられた通りにしか出来ない。
しかも緊急時だ。
習慣づいていることしか出来ない。
地震が起きていなかったことは幸いだったけれども
もし震度7の地震が東京に起きていたら私の命は今もあったのだろうか?

 

自主的に逃げた中学生達。自分の命も、皆の命も救った

地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、
「津波が来るぞ」と叫びながら避難所まで移動した。
日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。

3月11 日、東日本大震災当日。一緒に避難する釜石東中学校生徒と鵜住居小学校の児童たち
特集:内閣府 東日本大震災から学ぶ ~いかに生き延びたか~より

 

ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。
来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。
その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、
ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。
間もなく、避難所は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。

最初の避難所だった「ございしょの里」は津波に飲み込まれた
和歌山県防災教育の手引より

 

 

小学生達がいた鵜住居小を襲った津波は校舎を超えました。
調布市 大須賀市議のHPより

 

中学生は教えられた通り、自分で動いた。
しかも教えられた通りのことをするだけではなく
「危険だ」ということも自主的に判断し、更に提案して皆を行動にうつさせた。
これがどれほど大きいことだろう。
この時点でその中学生は紛れも無く指導者だ。

 

小学生も自分で判断して行動

ある小学1年生の男児は、地震発生時に自宅に1人でいたが、学校で教えられていた通り、避難所まで自力で避難した。
また、小学6年生の男児は、2年生の弟と2人で自宅にいた。
「逃げようよ」という弟をなだめ、自宅の3階まで上り難を逃れた。
授業で見たVTRを思い出したからだ。
既に自宅周辺は数十センチの水量で、大人でも歩行が困難になっており、自分たちではとても無理だと判断した。
彼らは、自分たちの身を自ら守ったのである。

本当に学ぶことに年齢は関係なく、学ばせること、教えることにも年齢は関係ない。
しっかりと教えれば幼くても自ら行動できる強い人になれる。

 

「一人でよくできる子供」が、「一人でよくできない大人」よりずっとまさっている。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

「小学1年生を一人で避難させるなど、教えたとしてもできるのだろうか」
と一瞬思ってしまったが、いやいや。違う。
これは小学生に教えた人が本当にうまくやったのだろう。
そしてその教えを実践に行動にうつした小学生も凄い。

 

自分で状況判断し行動できるようにという教育

ハードを進化させるのではなく、
災害という不測の事態に住民がいかに対処するかというソフト、
「社会対応力」の強化が必要になる。
これが、私のやってきた防災教育だ。
釜石市の小中学校では年間5時間から十数時間を、津波防災教育に費やした。

避難訓練の様子
防災教育の総仕上げとして子どもや親に教えたことは、端的に言うと「ハザードマップを信じるな」ということだ。
これはあくまでシナリオにすぎない。
最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。
そうは言っても、子どもたちには不安が残る。
だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げることだ。
もう一つは、自分の命に責任を持つことだ。
三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。
地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、
一家全滅・共倒れを防げという教訓である。私はそこから一歩踏み込み、子どもに対しては
「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」
と話した。
親に対しては子どもの心配をするなと言っても無理なので、むしろ、
「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」
と伝えた。
どれだけハードを整備しても、その想定を超える災害は起きうる。最後に頼れるのは、一人ひとりが持つ社会対応力であり、それは教育によって高めることができる。

NHKスペシャル 釜石の奇跡より

この三陸地方は、今までも何度も津波に襲われた。
3.11では8mに及ぶ高い防波堤をゆうに超える「想定外」の津波だった。
しかし、その「想定外」の時にどうするかという教育をずっとしてきたとのことだ。

 

個人が自分の人生を運転するように作ってあげ、
一人でどんなことに見舞われても十分解決できるようにしてあげなければならない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

最後に。

冒頭に書いた
「小中学生の生存率が他の地域と比べて突出して高い99.8%」
これから見ても分かるように0.2%の小中学生は亡くなってしまった事実もある。
5名が命を落としたそうだ。
その中には近所のおばあちゃんを助けようとして犠牲になってしまった子も含まれる。

生存率100%では無かったので、誇れることではないと片田教授は記している。
この0.2%の子達がなぜ亡くなってしまったのか、
「死者の声に耳を傾ける」ことも大事だと話している。

摂理で「100%完全になりなさい」という言葉がある。
これを負担に思ってしまう人、前よりは減ったものの、少なくはないだろう。
「80%でもいいのでは・・・?100%なんて無理。」
という考えが一度でもよぎらなかった人がいるのだろうか。

がしかし。
極的な状況、つまり
「命が関わってくること」
については100%を求めず、果たして良いのだろうか?

99.8%という数字だけ見たら、ちょっと慢心してもおかしくはない数字かもしれない。
がしかし、そこでなぜ満足しないか?
命が関わっているからだ。

摂理に来るまで
「100%、完全でありなさい」
という話は聞いた記憶が無い。

摂理でもこの「100%」という御言葉がでてきたのはここ数年の話だ。
(「完全でありなさい」という話自体は、聖書の福音書に書かれているが)

100%という数字だけが完全に命を守りきれる数字だ。

やはり神様が御言葉で言う
「100%完全になりなさい」
という御言葉は私達の命を守ってくれる愛の御言葉だ。

どんなことに見舞われても100%解決できるように
教育してくださっている御子に感謝します。

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