南アフリカの歴史が変わった日―今日はネルソン・マンデラ氏の誕生日

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指導者は仕える者でなければならない。
指導者は犠牲になる術(すべ)を知らなければならない。 
摂理の指導者教育の御言葉より

今日、Google検索をしてみたら

となっていた。
今日は南アフリカ ネルソン・マンデラ元大統領の誕生日だそうだ。

南アフリカは国土面積122㎡。日本の約3倍。

外務省 分かる!国際情勢より
人口は4300万人。
人口の半数以上が第一次産業(農業、水産業など)に従事している。
鉱山資源が豊富で、なんと<金>は生産世界第一位。
これは世界の5分の1を占めている。

外務省 分かる!国際情勢より
ダイヤモンド、レアメタル(精密機械に使われる希少金属)も多くとれ
金属資源の生産輸出が豊かな国である。
そしてネルソン・マンデラ氏のことを語るのであれば
絶対に欠かせないのがアパルトヘイト(人種隔離政策)。
世界史に必ず出てきたアパルトヘイト。
アパルトヘイトで検索すると
必ずネルソン・マンデラが同時に出てくる。
アパルトヘイトはご存じの通り、白人優遇政策であり黒人差別政策。
17世紀過ぎからオランダの植民地となった南アフリカだが
ヨーロッパの戦争の影響で19世紀になってイギリスに譲渡。
元々は当然、南アフリカに住む人達のもの。
だが1910年、南アフリカが独立するまでイギリスの植民地であった。
南アフリカの人種構成は
・白人(10%くらい) イギリス系 オランダ系
・黒人(70%以上)
・混血(カラード)
・その他アジア系
アパルトヘイトは
イギリス植民地となった為に貧しくなっていたオランダ系の人々を
優遇するための措置であった。
南アフリカの武器ともいえる鉱業に白人(オランダ系)がつけるようにしたり
給料を他の人よりあげたりなどした。
そのうち、イギリス系の白人からも、オランダ系と同じ政策をとるよう声があがる。
同時に力をもってきた黒人たちをアパルトヘイトをもって封じ込めようという意図があった。
具体的にアパルトヘイトとは何か。
★政治
黒人には選挙権が無い。つまり政策が自分たちに不利でも声をあげる場が無い。
★労働
工業での白人給与は約6倍。鉱業では21倍。
もう、ぼったくりに近い。
21倍って・・・。
黒人の方が月給1万だったら、白人の方は6万。工業だと21万。
普通の日本人の給与で考えても月給18万だとしたら
白人は月給128万。
さらに、鉱業なら378万という法外な数字であり、黒人の年収を超えてしまう額である。
日本なら暴動というか、そもそもこの政策が通るとはかなり考えにくい。
でもそれが近現代、南アフリカに起こっていた。
★婚姻 異人種の婚姻は認められない。
同じ国に住んでいながら、婚姻の自由は無かった。
★住居 居住区間の区別
人口の70%を占める黒人を国土の9%の不毛な土地に移住させた。
また日本に置き換えてみよう。
1.3億人のうち70%の9000万人が
国土9%にあたる関東のみに集中するようなものだ。
今の関東の人口総計は約6000万。今から1.5倍になるということ。
何より自分の意志で居住を決めるのと、決められるのとでは全然、違う。
残りは白人が占める。
居住空間だけでなく、例えば海などにも使用制限がかかる。

ウィキペディア アパルトヘイトより
「ダーバンビーチ条例第37節に基づき、この海水浴場は白人種集団に属する者専用とされる」
と英語、アフリカーンス語、ズールー語で併記された1989年撮影の標識

★教育 黒人には義務教育課程が無い。白人生徒の予算は約10倍。
ありえへんだろ。これ。

個人がよくできてこそ、教会がリバイバルする。
2014年7月18日
鄭明析牧師 摂理の箴言より

個人がよくできる人たちが団結して一緒に行なえば、雄大で強く美しい。
2014年7月16日
鄭明析牧師 摂理の箴言より

結局は特定の誰かではなく、個人個人が力を持ってこそだ。
誰かの力を落とそうとするのであれば、絶対に自分に仕返しが来る。
誰かの力を落とすことは結局、自分の力を落とすことにつながる。

南アフリカ共和国ハウテン州ソウェトで武装事件が発生。
エスカレートした暴動から、13歳のヘクター・ピーターソン(Hector Peterson)が
無差別に発砲する警察に撃たれ、死亡。
この写真によって南アフリカ政府へ国際非難が起こる。
「子供が死ななければ、あなた達は変わらないのか」
と言われているようにも思える。
本当に有り得ないことだ・・・。
アパルトヘイトは命を奪ったのだ。
これらの数々の信じられない現実。
それを変えたのがネルソンマンデラ元大統領。
大学生の時から反アパルトヘイト運動リーダーだった。
そして大学中退後、反アパルトヘイト運動を主導。
しかし白人政権は1964年にマンデラ氏を投獄。
国家反逆罪により終身刑、獄中での生活はなんと27年。
1990年まで続いた。
投獄中も
「白人至上主義と闘い、黒人至上主義と闘う。必要なら命をささげる。」
と反差別を訴え続けた。

指導者たちがよくない体質になっていると、群衆や人々がいるときだけ行なうようになる。
個人がよくできなければならない。
2014年7月18日 摂理の箴言

まさに個人でも行うことが出来た人だ。
南アフリカは国内のみならず、
アパルトヘイトに反対する諸外国から経済制裁などを受け
主に鉱業の貿易で成り立っていた経済が成り立たなくなり
1991年 アパルトヘイト廃止に追い込まれた。
そして選挙が行われ、1994年にネルソンマンデラ氏が大統領になった。
人の誕生は歴史を変える。
今日は広い意味で南アフリカの歴史が変わった日でもあり、喜びの日だ。

そして・・・
このような歴史を歩んできた南アフリカに
摂理の人々がいる。
私が月明洞で出会った南アフリカの人は黒人だった。
もしアパルトヘイトが続いていたのであれば
きっと南アフリカで摂理の御言葉が伝えられることはなかっただろうし
当然、月明洞に彼らが来ることは出来なかっただろう。
今日の日に心から感謝します。
参考記事:
【アフリカ】南アフリカ共和国とアパルトヘイト

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