愛と憎しみ
人が愛した分
一度憎むと憎むようになり
人が憎んだ分
愛するようになると
愛するようになるのだな
ああ、そうだ、そうだ、そうだとも
人が人を愛してあげた分
その心情を知らないと
愛してあげた分 憎くなるのだ
そして憎んだだけ愛するようになると
愛するようになるのだな
ああ、あの天に生きていらっしゃる神も
その心情 その愛が同じだろうな
愛を永遠に抱いて
憎しみには永遠に背を向けて
鄭明析牧師の詩
本日正午、1分間の黙祷。
第二次世界大戦は
1939年9月1日 ドイツのポーランド侵攻から始まり
今日のこの日、1945年8月15日 日本の無条件降伏によって終わる。
終戦から69回目の夏。
今日は終戦記念日。
韓国では光復節、北朝鮮では解放記念日。
韓国の摂理メンバー達でも、行事が毎年行われている。
この日は神様にとって喜びの日なのだろうか。
悲しみの日なのだろうか。
私の母は戦後生まれ。
「戦争は絶対にいけないこと」
というのを私が幼いころから教えてくれた。
小学生のころは、一緒に はだしのゲンの映画を見に行った。
とても怖くて、劇場内から逃げ出した覚えがある。
中学になってからは沖縄の防空壕、ひめゆりの塔なども一緒に行った。
とてもひんやりした防空壕で、当時の実体験を語ってくださる方がいたのを覚えている。
戦争を体験した祖父も祖母も
戦争末期に少年期を過ごした父も
戦争には勿論反対だ。
戦争がいけないことだというのは私の頭の中に完全にインプットされている。
それはとても感謝している。
そういった家族の教育があってこそ、今の私がある。
現代。
戦争があるのか、ないのか。
内戦と呼ばれるもの、戦争と表だって言われてないけれども
戦争のようなものは数は減ったものの今でもある。
でもそれよりもっと深刻なものであり、世界中に広まっているもの。
それは心の戦争ではないかと思ってしまう。。。
無神論でも有神論でも
祈りたくなる時が全くない人も殆どいないはず。
誰かの為に
「無事でありますように」
「あの人の夢がかないますように」
そう願う心が「無駄」と思う人はなんという薄情な人か(笑)
そういう心は相手に必ず届くし、神様に届く。
無駄ではない。
相手がよくなることを願うこと。
じゃあその逆に
「あの人、ほんとうに頭にくる」
とか
「死んじゃってもいいんじゃん?」
とか
そういった思いは相手に果たして届かないのだろうか?
特に現代はネット社会。
ネットで匿名でいくらでも誹謗中傷、嘘を書こうと思えば書ける。
面と向かっては言えないようなことも。
それが相手に届かないのだろうか?
いい思いだけ届いて
悪い思いは届かないこと
ということが果たして有りうるのだろうか。
今から2000年前、イエス様は
「心で相手のことを憎むだけでも殺人だ」
とおっしゃった。
心の戦争はもっと激化しているように思えてならない。
戦争は愛と憎しみが混ざったものであると思えてならない。
そして戦争は人の精神を正常ではなく狂いさせる。
敵国を殺すだけでなく、自国の味方でさえ殺す。
私は神様のような愛をもちたい。
神様、まず私の心が綺麗でありますように。
二度と、体を傷つける戦争を起こすことなく
心の戦争も起こしてしまうことが無いように。
今日の終戦の日。
もう二度と、全ての戦争が起きてはならないことを
深く祈る必要がある日。
*TOP画像 出典:外務省