53年ぶりに国産旅客機が初飛行

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夢と情熱をのせた初飛行!

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三菱航空機(愛知県豊山町)が開発する国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が11日午前9時35分ごろ、愛知県営名古屋空港(同)から飛び立った。国産旅客機の初飛行は戦後初のプロペラ旅客機「YS-11」以来、53年ぶり。平成20年の事業化から7年以上かけて、ようやく初飛行にこぎ着けた。
 名古屋空港の滑走路では報道関係者約300人、航空関係者約100人が見守る中、白いスマートな機体がごう音とともに初めて空へ飛び立った。当日の名古屋空港の天候は晴れで、薄い雲が広がる中、MRJは無事離陸した。
引用:産経新聞

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出典:日本航空協会

100席未満程度の大きさのRJ(リージョナルジェット)は、開発費が大型の約10分の1と安く、燃費も良い。MRJに対する期待は大きく、既にANAを始め海外からの注文も数百、入っているという。

 

日本は技術大国なのに、なぜ国産旅客機は開発されなかったのだろうか?

日本の航空機産業の歴史は古く、戦前には「零戦」などの軍用機が開発・製造され、100万人規模の雇用の受け皿ともなった。しかし、敗戦で連合国軍総司令部(GHQ)によって生産が禁止。航空関係の技術者は自動車や鉄道などへの転身していった。

航空機生産の解禁後、官民で国産機の復活を目指したYS11の開発は、日本国内各国の企業が参加したプロジェクトであった。東京五輪(1964年)の聖火輸送にも使われ、「日の丸飛行機」復活の象徴ともなった。しかし赤字が続き、73年に生産を終了。

その後は国内各社が米ボーイングの機体の国際共同開発に取り組み、機体製造全体を主導する日本のメーカーは出なかった。(参考:毎日新聞)

 

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出典:TECH

MRJは国産ということもあって、漆塗りの客室仕切り板なども試作されている。これ、綺麗で風流でいい!!!

今後も日本の技術力、良さを生かし、国産旅客機が反映することを願う。

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