保育士が子供を見るときは多角的に

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保育士が子供を見るときって、車の運転と少し似てるなと思うことがあります。

車の運転も、一つだけ見てると失敗します。
例えば、「前を見て運転」が基本ではありますが、本当に前ばかり見ていたら、あっという間に事故になりますよね。
左右のサイドミラー、バックミラーで確認。自分の目で確認。他にも運転手がすることは細かく言えばたくさんあります。

これと同じく
「子供を見る」
と、一口に言っても本当に多角的に見る必要があります。

保育士が子供を見るときは多角的に (1)

一か所だけだとホントに失敗します(TT)自分も一つだけ見て失敗したことが一度ではありません・・・。

子供と接してきた経験も大事ですけど、目の前にいる子供の現象に対してあらゆる可能性を考えます。

保育士は、時には口に出せないし、出さないこともあります。
分かっていても出さないのです。
それには幾つか理由があります。
大きな理由の一つに「確定ではないから」。

おそらくこうかもしれない??と思っても、想像の域では口に出して説明することが出来ません。
だから緊急事態を除き、黙って見守ることもあります。

保育士が子供を見るときは多角的に (2)

ずっと接していると、そのうち分かることもあります。
目の前の子供の行動や状況に対して、それが何故起きてるのか?何故、このようになったのか?
その子にお話を聞くのは必須。子供が喋れなくても声をかけることもあります。
あらゆる原因を考え、確かめます。

何が原因なのか?
何を考えているのか?
何故手を出してしまったのか?
何故喧嘩をしたのか?
その他たくさん・・・

このあらゆる原因という事項だけで、本一冊分は軽く書ける気がします(^^;)

大半の場合は、何かしら原因があります。
しかし、パッと見では判断が本当に難しいです。
だからひと時も目を離さずに見る、しかも多角的に見ることが本当に大事です。

幼い子たちの深い心情を分かってあげなさい。
その子が願っていることが何なのか見分けなさい。
絶対に何となくということはありません。
理由がないことはないのです。
摂理の御言葉より

保育士が子供を見るときは多角的に (4)
1人で見ていると限界があるから、保育士同士で連携をとることもあります。
また、保護者の方とも連携が絶対に必須です。

教師たち、親たち、皆一つになり
互いに理解してあげ、力も与えなさい。
摂理の御言葉より

例えば、「なんか今日、眠そうにしてるなあ」という時は
前日、旅行から帰ってきたとかそういう情報を聞いていると 眠そうにしている原因がさぐれます。
また「小学生のお兄ちゃんがインフルエンザになってる」という話を聞いたら、
その弟妹もインフルエンザになっていないか、気にかけます。

一つだけ見ていては本当に判断できないなと日々、勉強です。

保育士がやれることは、限界もあります。
ですが、日々、何か出来ないか、私がこの子の為に出来ることは何なのだろう。
保護者の方の為に出来ることは何なのだろう。

何より私はこの子を神様の愛で、愛せているのだろうか?

自分対しての問いかけもやむことはありません。

ですが最後には。
子供達からたくさんのプレゼントをもらう日々があまりにも感謝なのです。
子供達こそ、多角的に私にプレゼントをくれます。

神様に感謝で保育に向かう日々です。

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