ニュースにならないニュースの記憶を忘れずにいたい

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昨日書いた記事。
事件事故・災害のニュースが相次いでいるという記事。

 

昨日は、事件事故災害のニュースしか掲載しませんでしたが。

 

メディア マスコミの方々が一生懸命伝えてくださってる記事は、限られた時間・限られた紙面の中でしか伝えることができず、他に伝えたいことがあってもどうしても超核心的にせざる得なかったり。

 

それはもちろんマスコミの方々がさぼってるわけじゃなく。
常総市の災害の時、終日、マスコミの方々が取材に奔走する姿を見ました。
その姿を見ながら、取材するほうも本当に大変なんだなあと思ったのでした。

 

様々なニュースが流れる中で、衝撃的なニュースがあまりにも多い時は
それ以外のニュースのことを忘れてしまいそうになるけれども
それは決して忘れてはいけないことで。

 

絶望と悲しみしかないようなときでも、その中で神様がどこかで働いてくださっていて
神様がどこかで事件事故を、神様の立場で出来る限り防いでくださっていて

 

それは私たちが時には全く気付かない・・・そういうこともたくさんあるようで。

 

ルカによる福音書12章2節
おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

女性
神様が今、何をしてるのかと知ろうと思えば私たちは知ることができるはずなのだけれども
子供が親のしていることが分からないのと同じように
守られていることすらも分からないことがあるようで。

 

私一人がが今日、一日を生きている中で、それこそ大ニュースになる神様の働きもたくさんあるはずのことを
膨大なニュースが流れてくる中でも決して忘れてはいけないと。
改めて心に誓うのです。

 

記憶から忘れたら、まるで「自分の大きい宝物」を忘れたようで、それによる「喜び」も消えるようになります。
<神様がくださったもの>がものすごく多い。しかしすべて忘れてしまって「喜び」まで消えたのだ。
新しいものばかり探さないで、「すでにあげたもの」を記憶しなさい。思い出しなさい。
そして毎日喜んで行ないなさい。
そうしてこそ<記憶>から消えず、<喜び>も続く。
-摂理 キリスト教福音宣教会 2016年10月10日 御言葉より

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