私は元々の性格は、寂しさをよく感じる人だった。
過去形にするのが、少しまだ躊躇する。
それでも前よりはマシになったような?!
この寂しさというのはかなりの曲者で。
寂しさがある分、自分の前にどんどん岩が積み上がり、それを越えなければ前に進めず、物事もしっかり見ることも出来ない。
寂しさが無ければ、もっと進めるはずのところが 自分で自分の前に岩を置くようなもの。
寂しさについての御言葉が以前出たので、それを掲載します。
2012年の御言葉
愛の寂しさについて話します。
疎外感、その感情の根本は地獄の国を治める王
サタンルシファーがつくった感情です。
その感情は間違った感情であり、悪の感情です。
完全でない人は最も大きな試みである愛の寂しさに揺れます。
愛を99%したとき、1%の満たされない心が愛を壊すのです。
愛の寂しさは、全ての試みの中で最も大きな試みです。
創造するとき、人間には、愛の寂しさという感情が存在しませんでした。
アダムとエバの堕落のとき、サタンは人間の心に
愛の寂しさを植え付けました。
それが神様のところにいくもっとも大きな壁となったのです。
神様は決して愛の寂しい心をつくりはしなかったのです。
寂しいと考える瞬間、心にサタンが来ます。
だからそういう時は、必ず神様を呼んで心を取り締まり、
神様が絶対 自分を心から愛していると確信し、
心の鍵をかけなければなりません。
そうできなければ1%、1% 心を奪われていくのです。
サタンは隙を待っていて
人間のそばで、そうではない現象を、寂しさの目で見るようにさせます。
疎外感がどれほど恐ろしい感情かわかりますか?
疎外感が、カインがアベルを殺したように殺人を起こし、キリストを十字架にかけたのです。
天国には、疎外感というものは存在しません。
神様が各々の存在を喜んでご覧になり、
個性どおり愛するということを知っているからです。
しかしこの地上は疎外感が猛威を振るっています。
寂しく思う人は、本当に神様の愛を受け取ることが難しくなってしまいます。
神様が注いであげても、心の蓋を閉じている状態です。
そうしておいて、自分を愛してくれないといって泣きわめくのでしょうか。
サタンを退ける祈りをしましょう。
サタンはあなたたちの心に疎外感を植えにくるのです。
どうにかして寂しさの種ひとつでも投げておけば成長して生い茂るようになるから、
無条件、隙を見て待っています。
心に疎外感を育てている人は燃やしてしまいましょう。
疎外感があなたたちの心をつらくさせるのです。
寂しい心を100%清算しましょう。神様が受け取ってくださいます。
本当にそうなるから、寂しい心を捨て、また捨てなさい。
完全な人は、疎外感の種を受け取りません。
完全でない人は、毎日自分を振り返って疎外感を点検しなさい。
兄弟がうまくいく時に、なぜ人々は寂しくなり気分が悪いのでしょうか?
各自が受ける祝福で 満ち溢れるほどなのにも関わらず、隣を見て欲張るのでしょうか。
何でも感謝して喜びましょう。本当にそうしましょう。
疎外感を抱きしめて生きずに、神様を抱きしめて生きましょう。