今日、他地域の方々がつくばに来られ、一緒に交流しました。
その中に何年ぶりかに会ったお姉さんがいました。
私がまだ20代前半のときにお世話になったお姉さん。
お子さんも小学生高学年とかなり大きくなっていました。
お姉さんは私を見るなり、泣きそうな表情で私を抱きしめてくれました。
「生きてたー。よかった―( ;∀;)」
お姉さんは、私が摂理から離れかけていた時を知っています。
私がいなかったとき、私のお布団を干してくれたのを覚えています。
「まだ帰ってこないのかな」と。
今日あった時には、その話は一切しませんでしたけれども
何か相通じるものがあるなあと。
かっこよくいえば、お互いの心情が分かれば言葉は殆どいらない。
お姉さん、私は生きていますよ。
そしてお世話になったあの頃を、とてもよく覚えていますよ。
お姉さんを通して働いた神様に感謝しています。
お姉さんが私を抱きしめてくれたように、私も今日、数人を
「生きてたー、よかった―」
と言いながら抱きしめましたよ。
いっとき、調子があまり良くなかった人たちに今日、会って会話することが出来て
とっても幸せでした。
生きてるだけで本当に嬉しかったんです。
お姉さんも同じ心情でしたかね。
神様は人を見る時に、その人が生きてるだけでどれほど嬉しいのでしょうか。
そんなことを深く考えます。
自分が神様側の心情にならなければ、この嬉しさは理解できないんですね。
私も元気でいますから、お姉さんも元気でいてください。
今日会えて、本当に良かったですよ。
次に会った時には、一緒にお茶でもしましょう。
今日は遠くまで来てくださって本当にありがとう。
幼かった私は、今となっては少しは成長しましたか?
どうですか?
また必ずお会いしましょう。
神様のもとでの永遠の縁に本当に感謝です。