摂理に来て初めてビデオカメラで撮影したのは、月明洞にて鄭明析牧師と日本人達がサッカーをしている場面でした。
人がいなかったので、たまたま撮影することになったのですが、そこから私のビデオカメラ&カメラ人生が始まりました。
といっても、機材はずっと誰かが貸してくださり。その機材で撮影していました。
今は撮影そのものは使命ではありませんが、摂理ブログに載せたいので今も有難くカメラをお借りする機会が多いです。
自分のカメラを買おうと思って色々考えているものの
良いカメラを追求すればいくらでも上があり、値段も跳ね上がるので
ずっと迷っています(*_*)
ところで。
長年、カメラの使命をするうえで やっぱり現場にはかなわないんだよなとも思います。
現場の全てを写真や映像に込められるかというと、かなり難しいです。
カメラ、ビデオカメラ共に、撮影者自身は現場にいてこその使命。(必然的に行事参加率が高くなる)
そこで感じたのは。
私は先日、月明洞に行きました。
そのとき鷲が数匹飛んでいましたが、そのすべてや全体像をカメラにおさめるのは どんなに高性能な機材でも難しいのではないでしょうか。
後でその様子を映像で見ていた人に聞いたら、鷲は一匹しかうつっていなかったと聞きました。
(それでも月明洞の使命者の方は可能な限り、空を舞う鷲を一生懸命撮っていました。)
私が初めてサッカーの試合を生で見た時にも、こんなに端から端まで人が動いてるのかと衝撃を受けました。
テレビで見ている時とは全く違いました。
そう思うと、人間に神様は高性能な目というカメラ、ビデオカメラを与えてくださったなあとしみじみ感じます。やはり神様が作ったものは本当に高性能。
神様が下さったものの価値を悟りつつ、御言葉を伝える時にたくさん写真は出てくるのでその価値を深く悟りつつ、続けて何のカメラがいいのか御心なのか、費用を見つつ模索します(*_*)
(兄上がいいカメラ持ってるので、誕生日プレゼントにくれないかなーと こっそり思っている妹でした。)
写真と御言葉
広報するから、知らせるから人々が群がってくるでしょう。そういう素晴らしいところを作っているのにどうして知らせないんですか。
2006年10月1日 主日礼拝の御言葉より
この世にはたくさん、神様がつくった素晴らしいものがあります。
自然万物、そして何より人々。
一人でも多くの人に伝えていきたいです。
また、天国では写真館のように、自分が生まれてからの数々の写真が並べられているのだそうです。
これは「愛の記憶と思い出を残しておくため 写真で保管しておく(2014年12月29日の御言葉より)」為だそうです。
天国では、天使が撮影もしてくれるそうです。
「写真を保管しよう。 永遠に天国で保管しよう。(2014年12月29日の御言葉より)」
と御子がおっしゃってくださるそうです。
神様が人をお選びになる時もそうだ。
世の中から見た時に「もっとよくて素敵な人」がいても、「その人よりも劣る人」を選択なさる。
これは、神様が「好む心」があってお選びになったのだ。だから落胆することはない。
2017年3月20日 明け方の箴言より
私も色々足りなかったとしても、神様が好む写真を続けて撮っていきたいです(^^)