誰かを憎みor殺したいほど血気が起こる時

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誰かが自分に悪いことをして、心と考えが誰かを憎み、害したい時、あるいは殺したいほど血気が起こる時は、自分が自分を治める人になって、神様と主の名で自分を厳しく叱り、言葉で鞭を打たなければならない。
神様を呼び、主を呼んで事情を告げ、憤りの対象に対して行なったとおりに報いてくださいと祈り、反省するようにさせてくださいと祈りなさい。
そうすれば神様が公義をもって手をつけて、行なったとおりに処理なさる。神様が行なえば、行ないどおりに本当に恐ろしく手をつける。
仇(あだ)を討つことは、自分がやったら、やっている途中で死ぬこともあるし、あるいは憤りと血気で行なったことの100倍、1000倍、1万倍、100万倍まで受けるから、そうする必要がない。
主の名で神様に告げなさい。そうすれば神様が聖霊と共に早速そのことに着手なさる。
2017年3月24日 箴言より

 

私は殺したいほどの血気は今まで記憶にないのだけれども、ニュースを見ながら 私が事件の被害者家族だったらどう思うんだろう・・・と考えてしまいます。

 

私はめちゃくちゃ納得いかないとき、まず神様に祈りで全てを告げます。
慰めてほしいからではありません。
人間はある一面しか見れないから、私が間違っているかもしれません。
それは神様なら分かるから、私の間違っている部分があれば神様に教えてほしいし、正しく判断できるのは神様以外に存在しないと思うからです。

 

双方の深い事情まで知って、どちらが白黒という単なる判断でもなく、繊細な部分まで分かって判断するという御業(みわざ)は神様以外にできません。

 

もし仮に私が間違っているのに、それを続けて主張し続けたらどうなるでしょう。
私の罪になります。
また相手を傷つけてしまうこともあることでしょう。

 

だから心底、納得いかないときほど、神様にまず全て祈りで言います。

 

そうすると神様が正しい働きかけをしてくださいます。

 

状況に応じて、対話で相手と解くことも必要ですよね。

 

祈りは神様からのプレゼントだなと切々と感じます。

 

この箴言の御言葉を聞いて、凄く苦しんでいる人達一人一人がその心の重みから少しでも解放されたらいいなと切に願って箴言を載せました。

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