御言葉って自分に関係があるとき、もっと言うなら関係があるとわかった時にすごく楽しい。
聖書は歴史の本だから知識もたくさんつくけれども、それ以上に自分と重なるところがあると、面白いなあ。神様が私に話してくれてるんだなあって実感する。
御子は助けるとき<御言葉>を通して助けてくださる。
全体にも個人にも「こうしなさいと御言葉」を与えて助けてくださる。
<御言葉>が「実体」になって助けてくださる。
<御言葉>で「肉体の横っ腹」を突っついて促(うなが)し、
「心と考え」を突っついて促し、「肉」に<御言葉の刺激>を与えて助けてくださる。
摂理の鄭明析牧師の明け方の御言葉より
先日、知り合いのお医者さんに自分の手荒れ&発熱が続いてる病状があったので相談したら
「必ず大きな病院に行ってみて。皮膚科も行ったらいいけど、まず内科が先。」
と言われ、早速、今日行ってきた。
その内科では血液検査を受けてきた。
病院の先生は、診察を丁寧にしてくれ、あちこち見た結果、
「皮膚科にも行ってみたらどう?」
と言われた。
私は心の中で正直、
「病院のはしごって面倒なんだよなあ」
と思った。
でも今日の摂理の御言葉を思い返してみた。
「具合が悪ければ<自分>が病院に行って薬を飲んではじめて治るように、<自分>が行なってはじめて<自分>が変化して直る。」
そう。私が行かなければ!
腰がだいぶ重かったんだけど、この御言葉を思い返して、それで病院をはしごすることに決めて皮膚科に向かった。
「神様は私が今日、病院に行くことを分かっていたのかしら。面白いなあ。神様と話してるみたいだ。」
って思った。
これだから摂理の御言葉は面白い。今日の御言葉は今日聞く意味がある。もちろん後で聞いても意味があることだけれども。
神様は必ずいて、神様は私に話しかけてくれる。
一人一人に話しかけてくれる。
直接、口があるわけじゃないから、時には動物や植物、景色などの万物を使って。またはある現象を通して。何より御言葉と聖書を通して。
明日はどんな御言葉が出るんだろうな。
これだから面白いのである。
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