宗教法人化への注意その1ーお坊さんとの対話

  • URLをコピーしました!

私の祖父はお寺の住職でした。
その関係で、親族には他にもお坊さん達がいます。

 

最近、お坊さんと話す機会がいろいろあって多いのですが
お寺の内部事情を聞くと
「そうなんだー」
と思うことが多いです。

 

幾つも聞いた中で、今日はそのうちの一つ。
宗教法人化で気を付けることについて。

 

宗教法人とってないと、法律上から見れば「サークル」みたいなものです。
では宗教法人になると果たしてどうなるでしょうか。
何がいいのでしょう。

節税など金銭面で優遇が生まれることがメリットともいわれています。

 

でもこの宗教法人化、本当に気を付けないといつの間にか
神様より人を気にしなくてはいけない事態になります。

 

どういうことかというと、宗教法人のトップ(責任役員)は
奇数人で構成されます。

3人とか5人とか。

 

第十八条 宗教法人には、三人以上の責任役員を置き、そのうち一人を代表役員とする。
第十九条 規則に別段の定がなければ、宗教法人の事務は、責任役員の定数の過半数で決し、その責任役員の議決権は、各々平等とする。
引用:文化庁 宗教法人運営のガイドブックより

 

お寺の場合、住職が単独トップじゃないんですね。
これは日本の宗教法人の法律で決まっています。
私は今まで住職が単独トップだと思い込んでました。

 

住職がこれがいいとおもっても、他の人が反対したらできません。法律上は。

 

代表役員になったとしても、その人が全てを決めるわけではないんです。

 

教会なら、牧師さんが単独トップではなく、他にも責任役員がいるということになります。

 

「いいですよー、住職さんがトップにいてください」
といくら皆が思っていても、宗教法人制度から見ると一人というのはダメなんですね。

 

で、たとえば責任役員が5人だったとしましょう。

 

その5人のうちの一人が住職なことが多いそうです。

 

残りの四人は誰か?

 

家族経営だったら自分の妻、息子など。
こういうパターンが多いのだそう。

 

または、血縁関係はない人が責任役員になることもあるそうです。

 

で、神様ではなく人を見る信仰になってしまいかねないというのはどういう意味でしょうか。

 

住職がいくら頑張っていたとしても、残りの責任役員が「あいつは辞めさせよう」となった場合、本当に辞めさせられてしまうのです。
実際にそういうことがあると言っていました。

 

となるとどうなるか?
住職やその他のお坊さんは常に、責任役員を気にしなくてはなりません。
自分が辞めさせられてしまうかもしれないからです。

 

一部、責任役員の中や、お坊さんの中でもいじめがあったりするんです。だから辞めさせられることもあるのですね。もちろんお坊さん自身の責任分担もあるでしょうが。(これについては詳しくは別に書きます)
<健全なお寺も多いことは明記しておきます>

 

宗教法人化、それ自体は好ましいことですが
それによって神様を中心にすることがずれてはいけないなと深く感じました。

まかり間違えば、いつの間にか人を見ながらの信仰になりかねないことを危惧し
絶対にそうならないように努めていきたいです。

 


主を中心にしてやっていると言いながらも、
実際、現実においては自分を中心にして行なう。
自分の認識を中心にして行なう。これは習慣だ。
だからその隙から問題が生じる。聖霊がおっしゃっている。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次