大胆な若者を止める大人になりたくない

  • URLをコピーしました!

明らかに大人に分類される年齢に到達してから、早15年?以上。

 

自分の感覚がいつまでも若いと思うのは、思い込みであるということを感じさせる日々。

 

でも一つ思うのは、若者たちがやりたいことを止める大人にはこの先もならないようにと思うのである。

 

私のことを知っている人でも忘れてしまいかねない事実の一つとして、私の仕事は子供関連。
保育士資格ももっている。

 

子供を伸ばすとき、やってはならないことの一つに 縛り過ぎるということ。

 

「子供を叱るのは、命が危ない時だけ」
と私が初めて勤めた保育園の保育士さんが教えてくれた。

 

まあこの加減が難しいんだけど。

 

よっぽどのことでない限り、子供が自ら考えてやってみたいということを止めるとき
殆どの場合はあまり良い結果を生まない。

 

子供の発想は豊かで、とっても面白い。
見守っている側、そばにいる側としても、面白い。

 

つい口を出してしまいたくなったり、本人がやりたいというのに止めたりすると
なんだか管理してあげている感じに見えなくもない。

 

でもやっぱり、お互いにあまり面白くない。

 

私が子供のとき、親は私がやりたいということを殆ど止めなかった。
私が言うことを聞かなかったのもあるww
決めたら誰が何か言っても、やるから 最終的に親も諦めていたのも否めない。

 

祖母はよくボランティアで若者の面倒をみていたこともあり、祖母も止めなかった。
父も祖父もそうだった。

 

そして摂理に来てその後、新しいことを提案したりやろうとすると、やっぱりいろんな意見が出てくる。
それ自体は当然のことだし、意見が一人一人にあって当たり前。
でも私がのびのびいられたのは当時、教会の牧師だったくらら牧師が私を止めたことは殆どなかったから。

 

止められるのが嫌いな私にとって、これは神様が与えてくださった恵まれた環境だった。

 

くらら牧師は「御言葉で出ていないことについては止めない」という考えだった。
至極真っ当な、牧師らしい返事。

 

だから今、完全に大人の部類になった私も、若者の考えを基本的には止めたくない。
それは私がもっとおばちゃんになろうと、おばあちゃんになろうと、止めたくない。

 

神様があれもダメ、これもダメと言っていたら、私はとっくに 教会にいなかっただろう。

 

そして、それはどうなの?的な意見をもらったときも、自分の責任で自分でやる!と祈りながらやったことは
今となっては誰かが止めるどころか いろいろ聞かれるくらいになった。

 

経験ある人は分かるはず。
そうじゃないですか?

人に止められたからと言って止めていては 神様の歴史は成せない。
一つとなりつつ、知恵をもつことも大事だけど
時には大胆に突き進めなければ、大きな歴史はいつまでも成せない。

 

誰に神様の感動が臨むか分からない。
神様と人間の考えは天地の差だといった。

 

私も御言葉基準、聖書基準でこの先もずっと生きたい。

 

めぐみちゃんのような「堂々とすべきだ」という考えの若者を見ると、心から嬉しい。清々しいし、応援したくなるし、ご飯の一つでも作ってあげたくなる。

 

若者よ、祈りながら主と共に大胆に走ってほしい。
それを主は心から応援してる。
主と共にすればそれは全て歴史になる。

 

人の大胆な心は百万大軍よりもまさるし、銃剣よりももっとこわいものだ。ヨシュアでも大胆でなかったら先祖たちが約束したカナンの地に入れなかっただろう。
指導者が大胆であるとき、ついて行く人も大胆になって目的を達成することができる。
 

ただ大胆な人だけが勝利をするようになり、歴史の主人になるものだ。

 

恐れ恐がっているときはその心臓がうさぎの心臓のようで何にもできなくなるから、あなたは恐れないで意識もするな。神様があなたと共にするだろう。虎のように大胆になり、鷲のように大胆になりなさい。そうするとき神様があなたを通して大きい仕事が出来る。

 

大胆になって一日働いた分が、大胆でなくて一生やった仕事より大きい。

 

あなたは神様の尊い霊を受けなさい。あなたは最も大胆になれるだろう。神様の御言葉をもらった人はすなわち神だ。だから誰でも神様の御言葉をもらうときには英雄のように大胆になる。だからあなたは神様の話にいつも耳を傾けなさい。

 

あなたは神様に感謝することにおいても最も大胆になりなさい。

 

大胆な人のことをさして強い人だと言う。強いもの、丈夫なものだけが雨風吹雪の中で後々まで残されるようになる。人間も同じだ。神様はこの時代の義人を探すように、時代に大胆に使う人を探している。

 

大胆で強くなくては、より悪のものにぶつかってそれをこわすことはできないから、あなたは大胆で強くぶつかって、より悪のものが早く壊れるようにしなさい。手に持っているものがなくても大胆ならそれが資本だ。豊かさに至るようになる。

1999年3月2日(火) 朝の御言葉 あなたが踏む所はあなたの地だ

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次