本当に<時代>を見極める人は、前もってきちんと準備している

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主は力を奪う方ではない 与える方だで書いた、牧師さんの話。

 

今も教会の牧会者(牧師)として、また多くの教会にも御言葉を伝えている牧師さん。
日々多くの人と接する方。

 

現場だからこそ、逆に見えない場合もあるだろうに
この牧師さんは本当に凄いと思いました。

 

今がどういう時なのかを見極め、時代をよく見極めていらっしゃる。

 

大げさな表現だけれど、本当にそう思いました。

 

御言葉、主の心情をよく分かっている人は
誰よりも本当の意味で現実的に、実践的に生きることができ、将来に向かって前もって備えることができるんだなと感じました。

 

ルカによる福音書16章19節以下を読んでみると、金持ちとラザロの話が書かれています。


金持ちは将来のことを考えないで、現実に人生を注いで愚かな生き方をしました。


しかし、貧しいラザロは金持ちが食べて捨てるごみ捨て場をあさって、卑しい人生を生きましたが、将来を考えて神様を信じて生きました。


結局、一つの時代が過ぎて二人とも死にました。死んでから金持ちは地獄に行ったし、貧しいラザロは天国に行きました。将来のことを考えないで生きた人は不幸になったし、将来のことを考え、困難な中でも人生を正しく生きた人は、永遠に幸せになりました。現実の私達もその二人のうちの一つに属した生き方をしています。どっち側に立って生きているのか、自分のことを悟り、これから将来のために人生を生きていかなければなりません。


  いくら吹雪が吹いて、雨風が吹いて、数十年ぶりに大雪になって雪が膝まで積もり、大水が大地を覆ったとしても、時が過ぎたら乾いた地が現れるし、時が来たら春になるから、将来のことを考えて生きていかなければなりません。いくら雪が膝まで積もっていたとしても、春は来ます。


将来のことを考えないで用意しないで生きたら、花が咲き鳥が歌う暖かい春が来ても、絶対理想的な春を迎えて、主と共に歴史の行楽にお出かけすることはできません。神様の創造の自然法則である、季節の時を知らない愚かな人は、いつまでも雪が降って、北風が吹いて来るものだと思います。


神様の御心による歴史の摂理法則も同じです。歴史も冬だけが続くわけではありません。暖かい春も来るし、暑い夏も来ます。将来のことを思って、春の服も作らなければならないし、夏の服も作らなければなりません。服というのは、すなわち行いです。将来のためにこのような行いをしなさいということです。


いくら現実において楽しく歓喜の日々が続くとしても、全てをやめて将来のために、北風が吹き雪の荒れ吹くシベリアの野原に行かなければならない時もあります。将来は、そこにも神様の春の日が訪れるからです。神様の春の歴史を迎えなければならないからです。聖書に神様が預言した御言葉を成就しなければならないからです。春が来てから行なったら遅すぎるからです。
2001年1月14日 主日礼拝 「将来を考えて生きなさい」より

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