摂理に来たからと言って、順風満帆な幸せ人生が続くかと言ったら
そうでもなかったりする。
幸せそうな悩みが無さそうな人も
その裏でいろいろ悩んでいたりもする。
でもなんだかんだ、みんな幸せなんだなって思う。
神様のことを知っているから。
私が本当に良かったーと思うのは
神様に話す方法を知れたこと(お祈り)。
神様の心情を知るということを知ったこと。
神様に感謝するという意味を知れたこと。
神様が近い存在だということを知れたこと。
私にとって神様は幼いころから、いて当たり前の存在だった。
でもどういう存在なのかは分かってなかった。
神様は、変わらない石の塊のような存在だと思っていた。
でも神様は私が祈るたび、いろんな人を通して助けてくださり
いろんな働きを通して共にしてくださった。
まるで、神様は生きているかのように。
生きていなければ、毎回決まりきったことしかできないことでしょう。
そう、神様は生きていた。
これが私が摂理に来て、最も感謝すること。
神様が生きていることを知れたこと。
神様は今も生きて、一人一人を見ていらっしゃいます。
よく人々は、神様が遠くにいると考える。 人よりもっと近くにいる存在者が「神」だ。 人間は24時間近くに共にいることはできなくても、 神はいつもそばにいらっしゃる。 心の中にも脳にもつながっている。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
誰も見ている人がいなくても、神様と聖霊様と御子はすべてご覧になっている。 偽りなく行なったとおりに「使命」を任せる。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
<切なる祈り>は神様の心に感動を与えて、 行なってくださるようにする。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
<追記>
この内容は10.29夜に書いたものですが翌朝、このような御言葉が出ました。
「生きている神様でいらっしゃる」ということは、「神様がいつも自分に働きかけて一緒に生きているということ」だ。
<自分の信仰>が生きていれば、働きかけてくださる。
この時代に私たちが必ずすべきことの中の一つは「三位と一緒に生きる生」だ。偶像に仕えるようにして信じるのではない。
2017年10月30日 明け方の御言葉
これを見ながら、ああ本当に神様は生きている、神様と共に生きることは幸せなことだなあと改めて思いました。