私が小学生の頃と今では、取り巻く環境や状況も全然違うけれども
思春期 高学年女子の学校ストレス@摂理FROM八王子を見ながら やっぱりいつの世でも女子のグループというものは存在するものなんだなあと思った。
女子のグループは中学生になっても
高校生になっても
大学生になっても
社会人になっても
奥さんになっても
おばあちゃんになっても
割と続くものかもしれない。
私が小学生の頃、一緒に帰る子達でグループがあった。
中学生の頃もあった。
私はいわゆる派手ではない人であり
そして派手な友達も、そうでもない友達も両方いた。
私が高校生になったころ、それが少し変化する。
私は当時、女嫌い 正確には女子っぽい性格がかなり苦手だったのもあり
野球部のマネージャーの道を選んだ。
クラス内では派手な子達と友達になりかけるも
彼女たちは放課後遊びに行ってしまうので
部活に行く私とは疎遠になった。
女子嫌いな私にとっては天国だった。
マネージャーやってる子達はサバサバしてる子達が大半だったから楽だった。
高校三年生の頃は、なんの因果か、私ともう一人以外、全員の女子がいわゆる<派手>なクラスにいれられてしまった。
だからもう一人の子といつも一緒にいた。
派手な子と仲が悪かったわけじゃないけど、そこまで絡みは無かった。
私は高校生の終わりごろ、摂理に来た。
摂理に来てから楽だったのは、いわゆるグループ的なものが無かったことだった。
たとえあったとしても絶対に私はそこに足を踏み入れなかっただろう。
何かのイベントがあったときに、別に一人でいたとしても気楽だし
誰かと話そうとしても気楽だし。
神様の御言葉で「女子はグループを作りなさい」なーんて言葉、一度も聞いたことが無い。
聖書にもどこにもそんな言葉出てこない。
私は割と女の職場を渡り歩いてきた(保育園とか)わけですが
複数の保育園に行く中で唯一、グループというものが無かった保育園は
園長先生がグループを嫌い、悪口陰口を嫌っていた。
だからグループも自然とできなかったんだと思う。
トップがどうかで、だいぶその場の雰囲気が変わる。
(もちろんそれだけじゃないけど)
摂理の教会は神様がトップだから、神様を一番に置く限り、この先も女子のグループは作られないはずだ。
本当にありがたいことだ。