考え方次第で天国にもなり地獄にもなる
人間は<考え>次第で「神」にもなり、「人間」にもなり、「獣」のように生きることもする。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
人間が生きていく時、自分がどんな考えをもっているかで
同じ言葉を聞いても、180度異なって聞こえる。
ある人には正しいと思うように聞こえ
またある人には違って聞こえる。
同じ状況でも、考えが違えば、天国にもなり地獄にもなる。
世界を見渡してみると、様々な場所や地域、環境がある。
でもそこで生きる人は考えによって本当に様々な人生を生きる。
ある人は日本に産まれたことは宝くじに当たったようなものだという。
でもある人は日本は地獄だという。
イエス様がこの地球上に生きていた時、
ある人には天国だったし、またある人には地獄だった。
クリスチャンにとっては、メシアがこの地上で生きていた期間に産まれることが出来たのであれば本当に幸せだと
思う人達は数えきれないだろう。
でも、イエス様が生きていた時代でさえ、地獄だと思っていた人達、少なくとも天国のようには思っていなかった人達もいた。
イエス様を迫害し、最後には殺してしまった人達だ。
チョンミョンソク牧師のいる場所は、天国とは甚だ言い難いが
それでも天国のように生きる考えをもっているという。
考えによって、天国になるのか地獄になるのか、まるで正反対になる。
神のように生きるか、人間のように生きるか、獣のように生きるか
人間は、神のように生きるのか、人間のように生きるのか、獣のように生きるのか。
考え次第で、人間はどれにもなる可能性がある。
自分の考えを振り返った時に、いつも一定かというとそうでもない。
考えを鈍らせるのは雑念だ。
コンピュータのように、ボタンクリック一つで消せればいいけれど
コンピュータと違って、人間の脳には削除機能がない。
悪い情報ほど残る。
でも人間を創造された神様に祈って願い求めると、神様はその悪い情報を消してくださるのだという。
更には、御言葉を聞くこと、祈ってみること
良いものを見て聞いて、それらで頭の中の考えを満たすと行いとしても良いものが出てくる。
悪いものを消して、良いものを入れる努力をしていく私でありたい。
どうせ生きるなら、輝く神様の考えをもって生きていきたい。
どんな環境や状況も関係なく、最後まで堅固な考えをもって生きたキリストのように生きたい。
私は勿論、キリストにはなれないけれど、その「愛」の考えは持っていたい。