くらら牧師の記事に
指摘する?褒める?とあり、私も書いてみます。
私は褒められたいのか、指摘されたいのか
私がついていく側だったとします。
私は、人格的に教えてくれる実践者からであれば、ある意味、指摘もたくさん受けたいです。
口だけでは、私も受け入れがたいときがあります(ΦωΦ)
何故なら具体的ではないし、時には私のハートも傷がつきますw
しかし人格的に教えてくださる方は、大抵の場合は本人が既にやったことがあるか、またはやっている最中かのいずれかなことが多いです。
いつもこのブログに対して、多くのサポートをしてくださっている方がいます。
その方は本当に人格的です。
言う時はハッキリと言ってくれますが、私は傷ついたことがありません。
それは人格的であることと、ご本人がたくさん今まで実践されてきたことと、また、私自身が信頼している故なのかもしれません。
私は元々は指摘されるのが嫌でした。人の言うことを聞かない人種でしたw
でも全員に対してそうかというと、そうではありませんでした。
考えてみると、人格的・実践者・信頼。この3つがあれば私は、ただ褒められ続けるよりは褒めるところは褒め、そして教えてくださるところは教えてくださるほうが嬉しいのでした。
褒められるのは勿論嬉しいです。それと同じくらい、もっとよく変化していける、成長していけるのも嬉しいです。だれでもそうですよね。
私の周りには、この人格的・実践者・信頼の3つを備えている人が多いので、いつも学びます。
私は指導者として褒めるか、それとも指摘するか―子供への教育との関係性
くららさんが話しているように、また御言葉で出ているように、それぞれの人に対して、それぞれに出来るだけあったようにとおもいながら接するように心がけていますが、まだまだ至らないことは多いです(ΦωΦ)
この「それぞれにあった」というのは、摂理の中の話だけじゃなく、どこでも通用する話だと、保育の世界で子供達と接していて深く感じます。
保育の世界では生後0か月、1か月、2か月、3か月、6か月、1歳の頃、2歳の頃、3歳の頃など、大よその発達段階を学びます。
パパママさんたちも、こういった内容をご存知かと思います。
でもこれは、ほんとーに目安でしかありません。
赤ちゃんがいつから歩くか?大よそ1歳前後と言われていますが、これはかなり開きがあります。
歩く前に、いつ頃立つのか?
大よそ10か月過ぎたあたりから立ち始める子がいるといわれていますが、私が見た中で一番早かった子は、6か月で立ってました。(ちなみに誰が教えたわけじゃなく、自分でいつの間にか立っていたという(ΦωΦ))
他の子をみて、焦る必要はありません。
あくまで参考くらいに考え、お医者さんからみて何か問題が無ければ特に心配する必要はありません。
保育士が、子供の発達段階を思いながら、それだけを考えて子供に接しているとしたら?
それは保育士とはいえません。
結局のところ、一人一人にあった教育、接し方がとっても重要になってきます。集団生活なので、完全に一対一が難しかったとしても、それでも画一的にはできません。
褒める、教えてあげるというのも、子供によって変える必要があります。
<自分>も神様が創造したから、各自個性で「傑作」だ。だから神様と聖霊様と御子に尋ねてみなさい。
2018年5月9日 明け方の御言葉より
傑作は他に無いから傑作と言います。他にあったらそれは傑作ではありません。
一人一人、全く違う。だから接し方も、指導者としては各々にあったやり方が必要です。
この「羊は各々導きなさい」と教えてくださったこと、本当に感謝します。
また、そのように私を導いてくださっている神様に心から感謝します。
指導者として、私はまだ至らないところがたくさんあります。最後まであきらめず、頑張ります☆