それでも立ち上がる 走らなくても歩いてでも進む

疲れても
それでもやりたいことがある

 

疲れても
それでも続けたいことがある

 

何故できるのか
何故やろうとするのか

 

愛しているから

 

その言葉以外には当てはまるものは無く
的確に示すものは無い

 

走れなくても歩いてでも行く

 

必ず最後まで

 

動かなければ道を見つけられないように、
じっとしていたら、止まってしまったら、
問題が何であるか、答えが何であるか分からず、
何も得ることができません。

行なってこそ、自分の目の前にある問題も見え、
答えも得ることができます。

心が止まっている人たち、
肉体が行わない人たち、
考えに火がなく、興奮していないすべての人たち。
動きなさいと聖霊様が言います。
動きながら、あなたたちの愛を冷ます原因である
「問題」を発見し、願い求めて、「答え」も得る人たちになりなさいとおっしゃるのです。

どうして行う人だけが答えを得るのでしょうか?
そうしてこそ奪われず、
「答え」も「主」も自分のものにすることができるからです。
すなわち、代価を支払ったので、誰も奪う人がいないからです。

もっと行えない時にもっと行うことが、
心が冷めて、限界が来た時に行うことが、
「あがく」ことだから、行なってみなさい。
その条件でもらい、得て、享受するのです。

2018年9月19日 御言葉より

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この記事を書いた人

東京郊外出身、育ち、在住。保育事業代表、保育士資格所持。祖父は寺の住職。
高校生の終わりごろ、キリスト教福音宣教会の教会に来てから早20年超。食べるの大好き、漫画大好き、ディズニー大好き。人生を楽しみながら自由に味わっている。
好きな言葉は「実践してこそ得る」

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