疲れても
それでもやりたいことがある
疲れても
それでも続けたいことがある
何故できるのか
何故やろうとするのか
愛しているから
その言葉以外には当てはまるものは無く
的確に示すものは無い
走れなくても歩いてでも行く
必ず最後まで
動かなければ道を見つけられないように、
じっとしていたら、止まってしまったら、
問題が何であるか、答えが何であるか分からず、
何も得ることができません。行なってこそ、自分の目の前にある問題も見え、
答えも得ることができます。心が止まっている人たち、
肉体が行わない人たち、
考えに火がなく、興奮していないすべての人たち。
動きなさいと聖霊様が言います。
動きながら、あなたたちの愛を冷ます原因である
「問題」を発見し、願い求めて、「答え」も得る人たちになりなさいとおっしゃるのです。どうして行う人だけが答えを得るのでしょうか?
そうしてこそ奪われず、
「答え」も「主」も自分のものにすることができるからです。
すなわち、代価を支払ったので、誰も奪う人がいないからです。もっと行えない時にもっと行うことが、
心が冷めて、限界が来た時に行うことが、
「あがく」ことだから、行なってみなさい。
その条件でもらい、得て、享受するのです。2018年9月19日 御言葉より