偏見をもつなら それは神様の視点ではない
神様は偏らないから
詩篇103篇6節
主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。
神様は全知全能なのに
なぜ公正なのか
人間は知識があふれていても
公正じゃないことがある
自分を見ればよく分かる
私自身
年を人生の半分以上重ねてきた
知識と経験が豊富というだけで公正になれるならば
私の世代は全員
聖人になれる
しかし
果たして聖人か
公正なのか
人間がいくら知識と経験を重ねたところで
どうしても勝てない存在がある
それが神様
この地球上に
どんなに悟った!という人がいても
どんなに知識が豊富!という人がいても
どんなに私は経験がある!という人がいても
神様の知識と経験には到底かなわない
誰が138億年以上生きたことがあるのか
誰がこの天地万物宇宙を作ったことがあるのか
誰が地上の知識と天の知識の二つを所持しているのか
誰が、<誰にも見られず、見せられず、一人で泣いてる人の涙>を知っているのか
地上の知識と天の知識の二つを学びなさい。
神様は知恵ももっていらっしゃる
知識には知恵が必ず必要
だから神様に学ぶ
公正な神様に学ぶ
偏見者になりたくない
真の公正な人になりたい
学んだ時に運命が変わる
他の誰でもない
神様に学んだ時に運命が変わる
若くても
年を重ねた老練者でも
神様に学ぶなら
偏見という視点が
頭の中から消え去る
偏見が無い
真の公正な人になれる
-RIO作成の詩